東海道線 真鶴〜湯河原
架空裸線路支持柱(俗称:はえたたき)

今日は2004.2/1である。
あれやこれやしているうちに、年が明けてしまい、もう2月である。
今回のテーマ「東海道東京口に残るハエタタキ」は2003年中にUPの予告をしていたのに・・・。
現物の写真は12月中に撮影済みだったのだが、文献資料が皆無なので早速交通博物館図書室の予約を取ったのだが、うまく空きがとれず、年明けの1/11にようやっと訪問することができた。

予約時間は交博開館と同時の9:30。入り口で¥310のチケットを買い、4階の図書室に直行する。この日は先客が一人。お孫さんに常磐線の取手ジャンクションのことを聞かれて、答えられず、ノート持参で勉強にわざわざ来館されたとのこと。頭の下がる思いである。お孫さんはきっとおじいちゃんの説明を目を輝かせて聞き入るに違いない。うん、小生も負けないように資料を探すぞ。

司書氏に「あの、東海道線のハエタタキについて云々・・」と資料のチョイスを伺うが、「HAETATAKI?」なにそれという表情をしているので、身振り手振りを交えて説明するが、若い司書氏は今ひとつピンとこないようだ。奥にいらした、年配の司書氏に尋ねて初めて合点がいった様子。以後は、年配司書氏が応対してくれた。

氏はしばらく奥へ入られたまま、書籍を探していただいているらしく、その間、小生は記録の用意をし、開架書籍の雑誌をながめている。すると小生の名前が呼ばれ、3冊ほど分厚い書籍をカウンターに用意してくれた。「ここのところに、記述がありますが、どうですか」と書籍の該当箇所に小紙を挟んで、該当の記述箇所を教えてくれる。何とも、丁寧な応対に恐縮してしまった。その後も、各書の説明をしていただき、実はと小生の来意を話すと、さらに追加で資料を探していただけた。小生ただ、ひたすら感謝である。あわせて4冊、通信関係の書籍を丁寧に受け取り、席についてページを開いた。

「架空裸線路。通信電流の流れる裸線条、それを絶縁している碍子、腕木電柱などによって構成」

※以下、本文中の関連写真は全て、テーマの真鶴の現物を使用しました。

最初に開いた「鉄道通信発達史」には、ハエタタキのことがこう記されている。
さらに「電柱は主に杉材を使用し、防腐の為、硫酸銅溶液、クレオソート液を注入し、高さは7mから12m、太さは14cmから24cmの径をもち、1.4mから2.4m地中に植え込。柱間は45mから55mの間かくをもって建植。電線は太さは2mmから3.5mmの硬銅線を使用」とある。

続きを読んでみる。「通信線路施設心得」により大正11年定められたところによれば、第2条で甲乙丙の3種に分かれてその重要度により区間が定められている。これは線路規格と同様のものか。第5条では建柱場所は鉄道線路に沿い成るべく終点にむかって左側に建設することと記されている。そういえば今まで見たものは全て、左側に建てられていたような気もする。

第11条は架空線の高さが規定してあり、路面上は5m以上、国道、軌道上は6m以上の高さを持たせる、となっている。当時は路面電車が走る市街地にも当然、ハエタタキは存在したわけで、ここではずいぶんと高い柱だったようだ。さらに都市部の幹線沿いでは、年を経るにつれ回線数の増加により、親柱に渡されたハエタタキの横木、つまり腕木が15本以上になることもあったという。そして、ついに1本の架空線路、単線では通信量に不足を生じ、電柱が線路脇に複数植えられた架空線路の複線、複々線という姿も見られるようになったという。

さてでは、それら架空通信線路の支持物、つまり電信柱の寿命はというと、前述の防腐剤不注入柱で10年、注入柱で25年と言われていたようだが、建植された環境でかなり持ちは違ったようだ。山間部などでは、木柱のため「キツツキ」による、被害も大きかったなどと言う、信じられないような記述も見える。柱は杉材と言うことは先に述べたが、腕木の方は持ちを考慮して、当初はけやき材が使用された。しかし、あまりにも使用本数が多く、当時としても高価だったので、後には石ならの注入材が使用されるようになった。杉にケヤキ。今なら幾らになることやら・・・・。

ハエタタキの外観を形作る、腕木の電柱への上下取付間かくは当初360mmであったが後450mmに統一、角材の寸法は普通のものが断面66×66mm、分厚のものが76×66mm、では横幅はというと4線用は1.2m、6線用が2.4mとかなり幅がある。建植方法については基礎3段掘リ、ネカセ使用の標準工法がとられ、通常は丸穴を掘り玉石を入れる砕石つき固め式とし、水田の場合は3段堀りネカセを使用、沼地などはドラム缶を埋め込み、基礎補強としていた。

もう一つハエタタキを印象づけるパーツ、電信柱を左右から斜めに引っ張る支え線には、4.5mm亜鉛鍍鉄線3条束のものを使用して、地面に丸太を打ち込み、線の基礎台付けとして引っ張り強度を上げたようである。ところが以外やこの部分は台付けの腐朽、切断、引抜き等の事故により回線障害の原因となってしまい、これらの事故防止の為、支え線は亜鉛鍍鋼撚線に変更、台付け部分はコンクリブロックと鋼棒を使用したものに後に変更になり、最終的には地表上0.5mのところでワイヤークリップを用いて環つなぎとし、積雪等で弛緩のおそれのある個所はターンバックルその他の装置を取付けることにした。完成されたこの姿が、小生らの目にした最後の姿だったと思われる。

忘れてならない、列をなすあの白い碍子については煤煙や塩分のための絶縁低下を防止するため、三・二重碍子を使用したとあるが、形態的には当初とあまり変わらずに、最後まで似たような姿だった。

さてさて、ハエタタキの規定だけでこれだけの文章になってしまった。現地の現物検証に割くページが少なくなってしまって恐縮だが、もう少しおつきあい願いたい。

このハエタタキ、東海道東京口に現存する完全体のものでは、最後の一本と思われる。支持柱と支え線のみのものは、蔦がからみついたりして、それらしきものがまだいくらかあるが、止まり木に雀が群れて休んでいるような白い碍子が残るものはこれ以外には見あたらない。以前は、東戸塚や茅ヶ崎、馬入橋横の畑、二宮など結構その姿を見つけることができたのだが、それらはいずれも傾いたり、柱が腐食したりと言うことで、倒壊する前に取り払われてしまったか、線路際に住宅が建て込んできて、不要物として撤去されてしまったと思われる。

これらハエタタキがいつ頃まで現役で稼働していたのか調べてみたのだが、あいにくとわからなかった。東海道線自体、大幹線であり戦前の早い時期にすでに信号通信は地中線ケーブル化が始まっていたと言うから、小田原以西のローカル区間とはいえ、1950年代頃で現役は退いていたのではないかとの推測がたつ。事実、実際目にしていた当時のハエタタキにも、通信線は張られていなかったように記憶する。

ではなぜ、孤高の一本がここに残っているのか。みかん山の崖上にあり、ミカン畑の縁にたっているので、撤去するために切り倒すのも、引き倒すのも畑にダメージがある。前出の「通信線路施設心得」にも記されているが、平地に建植するよりも谷をわたるような架空線を引く場合は、線弛緩による通信障害を防止するために、より念入りに工事が行われ、メンテナンスも頻繁に行われていたと記されている。現役時から環境がよかったおかげで、残ったと思って間違いない。さらに別に撤去しなければしないで、どうということはない。こんなところが、今でも現存する理由だろうか。日中は、ヒヨドリの日向ぼっこの格好の宿り木にもなっていて、群れては白い碍子の上に集団で止まっている姿も愛らしいし・・・。

みかん山と湘南電車の塗装とハエタタキ、初春の朧にかすむ空をバックにファインダーをのぞくと、これが結構絵になったりする。東海道の主、113系もそろそろ、現役引退が迫ってきたという。銀色に申し訳ない湘南帯を巻いたE○○3なんて言う素っ気ない電車に取って代わる前に、ハイキングがてら現地を訪れてみてはいかがだろうか。車は大変不便だし、歩きで海でも眺めながらぼっつりぼっつり散歩しても現地までは駅からそれほど遠くない。疲れたら、湯河原まで足を伸ばして、公営温泉や公衆露天風呂でくつろぐのも一興では・・・・。

2004.02.14追記
この後確認したところ、完全体のハエタタキをもう一本、不完全ながら碍子が欠けているが、腕木は全て残っているものを一本、計二本の存在を認めました。両方とも小田原以西、湯河原までのあいだにあります。ただし、これらもページのものと同じく私有地内にあるようですので、詳細は控えさせていただきます。目をこらしていれば、東海道線の車窓から眺められます。見つけてみてください。

ハエタタキの参考写真
※本文中の関連写真は全て、テーマの真鶴の現物を使用しました。以下は80年代に撮影した、ハエタタキ現物及びハエタタキもどきの写真です。今は懐かしい、脇役の姿をご覧ください・・・


@国鉄相生線 ハエタタキ
現在のふるさと銀河線の前身、国鉄相生線でのスナップです。当時も沿線はタマネギの産地で、このカットも畑のあぜ道から撮影したものです。2軸貨車のレに時代を感じます。

A同和鉱業片上鉄道 現役ハエタタキ
これも当時現役で使用されていたと思われる、片上鉄道でのスナップです。写真ではわかりづらいですが、電信柱間にはピンと通信線が張られています。露天デッキの客車がいい味を出していました。


B東海道線東戸塚付近 ハエタタキ
今では想像もつかないほど変わってしまった、東海道東戸塚付近でのスナップです。南シナのスロ80系お座敷客車の8113レです。ゴハチの129番は当時、東京機関区の所属でした。


C国鉄歌志内線? ハエタタキもどきかな?
函館本線支線系のどれか一本、たぶん歌志内駅での撮影だと思われますが、記憶にありません。ホーム上構内線のため、ハエタタキとするには無理があるかもしれませんが、一応・・・


D興浜南線雄武駅  ハエタタキもどきかな?
現在は、親線の名寄本線も消滅してしまい、興浜線を含めて、道北沿岸の鉄道痕跡は消滅しつつあります。このカットも雄武駅での撮影と思われますが、記憶が・・・。ホーム上の構内線ですが、奥の1本1本は完璧なハエタタキです。


E高砂線高砂駅 ハエタタキもどきかな?
国鉄高砂工場への引き込み線もかねていた、高砂線高砂駅でのカットです。構内にはワムが溢れており、申し訳なさそうにキハ35の列車が発着していました。これもホーム上の構内線です。


F山陰本線 元ハエタタキ支持柱
電化ポールが立ち並び始めた頃の山陰本線PC車内からのスナップです。最後尾の車両から列車全体を狙って撮影したとおもいます。よく見ると、傍らのケーブル柱に腕木の跡がしっかり残っています。明らかにハエタタキを転用したケーブル柱とわかります。今回のテーマでの、偶然の発見でした。


はえたたきについての検証での参考文献
交通博物館図書室蔵
鉄道通信発達史
鉄道技術発達史第三編(電気)
電気工学ポケットブック

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