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JR東海道線 根府川駅 駅舎&跨線橋 |
| 根府川駅。首都圏に住む鉄道ファン、特に30代以上の列車撮影を主体としたファンにとっては、「聖地」への玄関口として、親しみの深い駅であろう。 もちろん当時は今のような無人駅ではなくちゃんと駅職員が配置され、小世帯ながらきっぷの集改札から駅の管理まで行き届いた業務が行われていたのは言うまでもない。ホームでの撮影や白糸川橋梁袂での撮影許可等でお世話になった方も多いのではないか。湯河原方ホームはずれの鉄橋袂から上りのブルートレインをねらうアングルは、一度は挑戦してみたいカットではなかっただろうか。幾多の名作がこの駅と白糸川橋梁、通称「大鉄橋」で生まれたことは皆様ご存じの通りである。 「ホームの向こうは海」の抜群のロケーションから、古来メディアに登場したのも一度や二度ではない。開駅は熱海線第一期開通時の大正11年12月21日。先代の白糸川橋梁と併せて、風光明媚な駅として当時の絵はがきなどにも登場している。当初は真鶴駅まで単線非電化で開業しており、すぐに複線開通、2年後に湯河原駅、そして終点熱海駅まで開通したのは大正14年と、3年間で全通を果たしてしまった。 当駅と真鶴駅の間にあった名所「眼鏡トンネル」こと赤沢トンネルは新線切り替えで無くなってしまったが、小田原駅を過ぎて最初に相模灘を目にする小峰の切り通しや石積のクラッシックなポータルを持つトンネル群(将来の丹那ルート開通を考慮して最初から複線構造を持つ)は開通当時のまま(純粋に開通当時のままではない、理由は後述する)今でも目にすることができる。 根府川駅では現上り線ホームが開通当時築造されたホームそのものであり、駅舎の建つ高い石垣も当時積まれたものだ。が、駅舎と跨線橋の財産票は大正13年10月10日同10月5日竣工と鉄道開通の2年後となっている。たった2年で駅舎も跨線橋も建て替えられてしまったのはなぜか、改札ラッチ横の関東大震災殉難の碑がそのすべてを物語っている。 大正12年9月1日午前11時59分、関東南部を襲った未曾有の大地震は震源に非常に近かった熱海線にも甚大な被害を及ぼした。沿線各所で崖が崩落し線路はズタズタ、真新しいトンネルは山体移動で随所で陥没変形した。今では撮影名所の一つとなっている根ノ上踏切のカーブも実は元根ノ上山トンネルが存在していたが、トンネル上の山が崩壊し海岸へくずおれたため、トンネルが消失し露天になってしまったところだという(撮影時は気付かなかったが、確かにポータル名残の石組みと壁面のコンクリ擁壁が写真に写っている)。 特に根府川駅周辺の被害は筆舌に尽くしがたく、新築後1年も経たない駅舎や駅施設はことごとく倒壊、それに加えて駅山側で発生した地滑り(正確には山体の大崩壊)は駅敷地の大半を埋め尽くし、同時に駅に進入してきた真鶴行き下り109列車(960型タンク機関車977号牽引、このとき奇跡的に4枚のナンバープレートのうち1枚が地上に残り、今でも交通博物館に所蔵されている。砲金製プレートは大きくゆがみ、このときの衝撃の大きさを物語っている)を路盤・プラットホーム共々、80m下の相模灘へと押し流した。 このときの模様を「神奈川県下の大震災と警察」と言う資料から拾ってみると『・・・片浦村根府川白糸川沿岸の一部落が山津波のために埋没されると同時に、白糸川北岸の一丘陵を隔てた熱海線根府川駅は、駅背後の断崖約六丁歩崩壊し、停車場建物および鉄道官舎を海中に押し出し、また恰も駅構内に入り将に停車せんとした午前十一時四十分小田原駅発真鶴行二、三等七両連結第百九列車をもはね飛ばし、汽関車一輌は渚に残り、他の六輌は乗客約二百人を乗せたまま海中に墜落し、プラットホームにいた約四十名も一斉に海中に投げ込まれ、折柄来襲した海嘯に浚われ、停車場、鉄道官舎等の建物も汽車も人も海中深く沈没して所在を失い、以上遭難者約二百四十名中僅かに四十名は生存・・・』いかにこのとき起こった崩落が凄まじかったかがよくわかると思う。犠牲になられた方々のご冥福を祈りたい。 近年、この駅下の海中に押し流された駅ホームの一部が当時の姿そのままに沈んでいるのが発見された(この詳細については「海に沈んだ人類の足跡」様ページにてご覧ください)。 というわけで、瀟洒なたたずまいを見せる現駅舎は震災復旧時に建てられた2代目なのである。先代の趣を受け継いだこの駅舎は、下見板張りの外壁といい、浅い寄棟造りの屋根&付け庇といい実に優しく穏やかな雰囲気を持った駅舎である。改札ラッチから跨線橋越しに望める相模灘も実に穏やかだ。 震災で倒壊し、土砂に埋もれた後も先代と同じ場所に駅舎が建て直され、ホームへとつながる跨線橋も土台をさらに強固に作り直されて再建された(写真手前側の跨線橋は複線化時に付け足されたもの)のは、駅土台の谷積みの石垣がそれほどの損傷もなく土砂の中に残っていたという訳だけではあるまいと思う。この駅の設置を願い、念願がかなえられた後は地域の玄関として駅を大切に守ってきた根府川の人達の想いがそうさせたのではないか。 ちょうどこの写真を撮りに訪れた日は、過去の悲しい歴史の事実など覆い隠すかのように、桜が咲き乱れ春の柔らかな陽に駅頭は包まれており、散策を兼ねたお年寄りのグループがベンチで談笑するのどかな風景を見ることができた。 ※ちなみに、前述の通り震災時には白糸川橋梁も大山津波によって倒壊落橋しているが、これについては次の「白糸川橋梁」のページで記述させていただく。 |
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