ひとけのない営業課のフロア、 南原の電話の声が響く。 「はい、こちらこそこれからもどうかよろしくお願いします」 南原は受話器を置くとほっとしたような表情を見せた。 「良かったですね、結局わかってもらえて・・・」 景織子がポットのお湯をつぎながら微笑む。 そして南原の机にいれたてのお茶を置く。 「あ、どうも」 南原が低くつぶやく。 景織子は一つ離れた机に座り、自分のお茶を飲む。 「・・・でも信じらんない。最初はあんなに営業向いてないって こぼしてた南原さんがこんなに頑張っちゃうなんて」 「いや、仕事だから・・・」 南原が照れながらお茶を口にする。 「以外と向いてるのかも・・・なんやかんや言っても南原さん、 人が好きでしょ」 「・・・・でも疲れるよ・・・あれってけっこう・・・・」 「・・と、言いつつ楽しそうに見えるときもある・・」 景織子がいたずらっぽく笑う。 「・・あ、もうこんな時間だ!」 南原があわてて壁の時計を見る。 「さ、帰ろ!あんだけ先に帰っていいって言ったのに・・・ 誤解されるよ、こんな時間まで一緒にいたら」 「でも助かったでしょ? 細かい資料も揃って」 「そりゃそうだけど・・・」 「ありがとは?」 「ありがとう」 二人は笑いながらフロアを出ていった。 下に降りるエレベーターを待つ間、南原はロビーの隅で小声で 携帯をかけていた。 「あ、ごめん、今会社。これからすぐ帰る。・・・うん、 食べないで帰るから・・・」 いつもより少し低めのリラックスした声。 景織子は横目でちらっと彼の背を見ながら かすかなため息をついた。 2年前、もともと技術担当であった南原が人事異動で営業に 回された時、誰も彼の仕事に期待するものはいなかった。 しかし熱心に顧客の元へ足を運び、必要な情報をわかりやすく 丁寧に説明する彼に、少しずつ新しい注文も増えていった。 加えて彼の部下である景織子がいつも的確なフォローをすると いうことも、功を奏した。 だが彼の営業成績の伸びはあまりに目立っていた。 そしてそれを面白く思わない者の一人が社内に「南原と遠山は 不倫の関係にある」という噂を流した。 噂はあっと言う間に社内に広まった。 ラウンジを抜けた展望室のイスには、遅い昼食を終えた南原が 一人座っていた。 深くうなだれて、膝の前で軽く両手を組んで。 眠っているのかしら・・・ 景織子が遠慮がちに名を呼ぶと、驚いたようにすっと顔を上げる。 彼の深い瞳に一瞬哀しげな影が残されていたことに景織子は 気づく。 しかし南原はすぐにいつものような笑顔を浮かべる。 「どした、遠山」 「・・・なんでみんなに説明しないの? あんな噂は嘘だって」 景織子が怒りを抑えた口調で静かにつぶやく 南原は苦笑して窓の向こうに広がるビルの群を見下ろした。 「言ったら尚更火に油を注ぐようなもんだよ・・・」 「・・・」 景織子は悔しそうに眉を寄せる。 「・・・でもごめん、結婚前の女の子に変な噂で迷惑かけて」 景織子はそのまま黙って唇を噛んでうつむいた。 「ほんとにごめん。でも仕事で返そうよ、あんなのは嘘だって・・・」 微笑む南原に景織子は二重の意味で辛い思いをしていた。 それから数ヶ月後。 季節はずれの人事異動で南原は一人、地方勤務が命じられた。 しかしその辞令は皮肉な理由で無効になった。 たまたま社内検診で再検査の必要ありと出た彼は、 そのまま都内の病院に入院したのだ。 見舞いに行きたくても噂を気にして足を運べない景織子のもとに ある日、南原の妻、真理子から連絡が入った。 いつも世話になっていることへのお礼と、 一度見舞いに来て欲しいというお願いの内容であった。 可憐な少女のような真理子の声を、景織子は初めて聞いた。 「でも私・・・」 思わず言葉に詰まる景織子に真理子は優しく話しかける。 「すいません、人に誤解されちゃうかもしれないから、無理には 頼めませんね・・・もし来れたらでいいんです。 本人は何も言わないんだけど、前からあなたのことを、明るくて いい子だ、助かるってさんざん言ってたからつい・・・」 景織子はなんと言ったらいいか分からなかった。 しばらくの無言の後、一言だけやっと言って電話を切った。 「お大事に」と。 数日後思い切って見舞いに訪れた景織子を、 真理子は満面の笑みで迎えた。 「申し訳ありません、無理を言って・・・」 電話の印象通りの清楚で美しい女性であった。 「あなた、遠山さんが!」 真理子は嬉しげに病室の奥の南原に声をかけた。 そしてコーヒーとお茶菓子を用意するとそのまま席を外した。 南原は入院前と全く変わらない笑顔で景織子を迎えた。 「・・・あいつ、俺が何も言わないのに俺が本当に会いたい人 だけここに呼ぶんだよ・・」 (本当に会いたい人?・・・) 景織子はそっと心の中で繰り返すと、かすかに嬉しそうな表情を 浮かべる。 そして二人は少しの間黙って見つめ合った。 互いに言いたいのに言えないことばかり胸の中にあふれていく。 南原はふっと窓の方に目を移した。 そして会社と変わらない窓の向こうの景色を見下ろしながら 明るく言った。 「退院したら田舎に帰って地元の会社で働こうと思ってる・・・ やっぱり俺には田舎でのんびりと暮らす方が性に合ってるんだな・・・」 「いいかもしんない・・・」 景織子も頷いた。 「・・・遠山・・」 別れ際、南原は景織子に声をかけた。 「・・・さよならの握手いい?」 景織子は一瞬唇を噛んだが、あわてて笑顔を作った。 そして南原のベットに再び近づくと、彼の手をそっと握った。 南原が笑う。 「・・・小さい手だなぁ・・」 「そう?」 景織子が恥ずかしそうに微笑む。そしてゆっくりと手を離した。 「じゃ、また」 手を振る景織子に、南原も手を振る。 景織子は病室のドアを閉めると小さくため息をついた。 そして急にその場にしゃがみ込むと声も出さずに泣きじゃくり始めた。 まるで幼い子供のように。 そしてしゃくりあげながら南原と握った手をそっと頬に寄せた。 一年後。 会社を辞めて小さな花屋で働くようになった景織子のもとに 真理子から電話が入った。 「ぜひお会いしたい」と。 勤め帰り、駅で待ち合わせて二人は一年ぶりに出会った。 真理子はほんの少しやせてはいたが、美しさは変わりなかった。 二人は言葉少なにあてもなく夕暮れの駅前通りを歩き出した。 「なぜ通夜にも告別式にも来て下さらなかったんですか?」 真理子は責めるでもない穏やかな口調で問いかけた。 景織子は無言で、二人の間を駆け抜けていく子供達を 目で追っていた。 二人はそのまま小さな公園に足を運び、背の高い欅の木の下の ベンチに腰掛けた。 夕暮れの風に、色づいた欅の葉がさらさらと散っていく。 真理子はその様をじっと見つめながらつぶやいた。 「・・・私、あなたとあのひとが男女の関係ではないことは よく分かってました。 でも、それがほんとはなおさら辛かったんです。 いっそ、普通の世間一般の不倫だったらもっと気持ちが楽だった んじゃないないかしらって・・・」 「・・・・・」 「羨ましかったです・・・信頼し合って仕事してた二人が・・・」 「・・・・・」 無言のままの景織子の瞳にみるみるうちに涙があふれていく。 真理子はそんな景織子をじっと見つめた。 そして突然景織子の唇に羽のように軽いキスをした。 驚く景織子に、真理子は恥じらうようにうつむいた。 「・・・これはあのひとからのキス・・・・・」 真理子はうつむいたまま小声で言った。 「あのひと・・・とても優しいキスをするひとでした・・・」 誇らしげに言う彼女に、景織子は今嫉妬よりも不思議な愛しさを 感じていた。 同じひとを愛した者同士ならではの一瞬の至福の時だった。 景織子は涙ぐんだまま静かに微笑んだ。 「ありがとう」 夕暮れの光の中、黄金色の落ち葉が音もなく降りしきっていた。 |
| witten by MANA |
| 麻奈様からのあとがき |
| フィクションとはいえ、実名をお借りした二人には「ごめんなさい!」 ほんとにごめんなさい!!!(泣) 奥様の名前はさすがに使えなくて昔のドラマから恋人役の名前を 借りました。 |
|
|||
|
|