『beyond the way clouds go』


ミツケテハイケナイモノヲミツケタコトガアリマスカ
ウバッテハイケナイモノヲウバッタコトガ―――――
アリマスカ???


いつも沢山の人が行き交い、物を作る場所特有の熱っぽさがここには溢れている。
常に平均点以上を求められる辛い現場ではあるけれど、俺は笑う犬のスタジオが好きだった。
収録の合間、ぽっかりと時間が空いてしまった俺はスタジオの中を眺めるともなく眺めていた。
照明に照らされたこの異空間は、ちゃちなセットを芸術品のように視聴者に見せるトリックの場でもある。
黒と白の色彩が交錯し、シュールレアリズムのような世界。
スタジオの隅っこの溜まりではいつでも誰かが談笑したり、菓子を食べたり、雑誌を読んだりしている。
ここの主は大内で、奴ときたら(当然、今現在も溜まりに陣取っている)出番が俺達に
比べて少ないのを良いことに、日がな一日たまりで悠然と過ごしている。
その分、俺達のことを良く観察していて、自分でも気付かなかったような細かな癖を指摘されて、
挨拶に困ることもしばしばだ。
そう言えば、南原さんも大内に、
「南原さんって小動物みたいな動きしますよねぇ。」
と言われて何故だかわからないけど赤くなっていたっけ。若手の言うことなど適当に流しておけば
良いのに、一々神妙に受けとめてしまうのだから。あの妙に生真面目な人は。
あとで俺に向かって、
「小動物みたいかぁ?俺。泰造、どう思う?」
って真顔で尋ねてきたんだぞ。大内の何気ない発言で俺まで参ってしまう羽目になったんだ。
思いきり眉根を寄せて、「小動物…」と呟いていた、とてもそうとは思えないのが本音だけれど、
年上の人を思い出して、俺は笑いがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。
「なに笑うてはるん、泰造くん。気持ち悪いなぁ。」
台本を片手に遠慮会釈のない声をかけてきたのは中島だ。ほっとけってば。
俺は"気持ち悪い"といわれたことをとりあえず無視して向き直る。
「これから何やるの?メイクはしてないみたいだけど。」
そう言うと中島は思いきり笑顔になる。
「チャーミーズ・エンジェルの打ち合せ♪あのコント、めっちゃ気に入ってもうたわぁ。
ほんま、男の人たじたじにすんのって気持ちええなぁ。」
中島のラムちゃんスタイルを思い出し、俺は心にいやな汗をかいた。
あれでたじたじになったのは、標的をつとめたのが南原さんだったのが一番の原因だと思うんだけどな。
もし俺や名倉くん、コントのキャスティング上無理だけど内村さんだったら…
まぁいいや。中島が満足しているんだったらそれで良しとしとこう、とりあえず。
ここで俺はふと思い立って中島に問い掛けた。
「なぁ、南原さん見なかった?」
「ん、南原さん?知らんよ。また、溜まりで大内くんや大木くんと遊んどるんと違うん?」
「溜まりには居ないよ。別になんの収録もしてないし、どこ行っちゃったのかな…。
居たら居たでにぎやかだけど、消えるときは急にどっか行っちゃうからね、あの人は…。」
中島が小首をかしげる。右手の人差し指を唇の端において思案の表情を作った。
「う〜ん。何か用事でもあるん?」
実を言うと別に用事はない。さっきから何かにつけて南原さんのことが頭に浮かんでくるので、
収録が再開されるまでの間、話しでもしようかと思っただけだ。内村さんも南原さんも、
俺達の話しを本当に良く聞いてくれる。内村さんと違って、南原さんの場合は、
問題解決の糸口をくれるという感じではないのだけれど、話しただけで
どんな心配事も消えてしまう気がするのだ。
明るく笑い飛ばしてもらうと、全て無かったことにしてしまえるような…。
中島に曖昧な礼を言って、俺は本格的に南原さんを探すことにした。
なんだか本気で話がしたくなってきてしまった。俺も単純というか、なんというか。
とりあえず、昨日見た映画の話しでもしよう。見たことの無い映画だったら
、また内容を教えてあげるし、見たことがあるのだったら感想を話してくれるだろう。
どっちにしろ、休憩中退屈せずにすむのは確かだ。


溜まりにはさっきから、大内と大木しか居ない。
スタジオ中をぐるっと見渡してみても姿が見えない。第一、声が全く聞こえない。
楽屋に帰って眠ってしまったのだろうか。珍しいな。いつもは溜まりのうるさい中で平気で眠っちゃうのに。
みんなで大笑いしてたら、南原さんだけ何時の間にか眠りこけてたなんてことはザラだし…。
楽屋へ行ってみようとスタジオを出るころには俺は何だか、わくわくした気分にさえなっていた。

しんと静まった廊下は、照明と人の熱気で蒸れたスタジオとは違って、
冬の冷気が落ちている。行き交う人もなくて、自分の足音だけがいやにひたひたと響いた。
テレビ局の廊下はどこも狭くて複雑で、デビュー当時はずいぶんと迷ったものだ。
実は今でもちょっと妖しい。
落ち着き無くきょろきょろしながら歩いていたせいか、俺は彼に気づくのが随分と遅れてしまった。
いや、俺のせいだけとはいえないだろう。それくらい彼は、静かに廊下のベンチに佇んでいた。
静かなだけでは無い、その纏う空気は普段俺が知っているその人とは明らかに異質な物で、
見慣れた顔のその人であるにもかかわらず、声をかけようとする俺の声帯を重くさせた。
「な、南原さん?」
遠慮がちな俺の声が、廊下の何時までも続きそうな沈黙を破った。
ベンチにやや姿勢を崩してすわり、どこまでも揺らぎのない空間を作っていた人は
ゆっくりと俺のほうに視線をよこす。そのやや上目遣いになった視線に俺はまたもやたじろいでしまう。
別にその人、南原さんの顔には怒りの表情も何も浮かんではいない。
表情といえるようなものは全くのせていないと言っても過言ではないだろう。
いつもの俺が知っている、明るくてあけすけで良く動く南原さんの表情が、全て丁寧に拭い去られている。
昔からテレビで見てて、そして一緒に仕事をさせてもらうようになってからも
見続けてきた"ナンチャン"がいなかった。
ベンチに佇む人は俺の知らない人だった。
おそらく戸惑って、不自然な表情をしているであろう俺から視線をはずし、
南原さんは例のびっくりするくらい(キャラに合わんと名倉くんが言っていたっけ)
綺麗な手で髪の毛を梳いた。
「どうした?」
「…どうか…したんですか?」
ぎこちない俺の問いに南原さんは、本当に微かな笑みを口元にだけ浮かべる。
「どうかしたように見える?」
相変わらず俺のから視線をはずしたまま。それだけでもういつもと違う。
「いや、なんか…南原さんじゃないみたいで…。」
南原さんの口元の笑みが、もう少しだけ濃くなった。でも相変わらず妙に透明で掴み所がない。
普段、分かりやすすぎるくらい分かりやすい南原さんとは随分な違いだ。
南原さんは髪の毛をいじるのをやめるとけだるげに手を下ろした。
ベンチに無防備に置かれた、男性には不似合いなほど華奢な手に、
俺はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気さえしてきた。廊下は冷えるというのに、
Tシャツにジャージを羽織っただけで、呼吸をするたびに胸元が微かに上下している。
その身体がやけに細いのが今日は目に焼きついてくるようだ。
いつも葉っぱ隊の収録のときは殆ど裸だし、南原さんが名倉くんと張るくらい細身だってことは
熟知していたはずなのに。これほど、不安になるほど華奢な印象を受けたのは今日が初めてだった。
とにかく、細い指にも体にも、妙に無防備さがまとわりついて
薄氷を踏む恐怖にも似た気持ちを俺に与えるのだ。
「俺じゃなきゃ…何だよ。」
「いや…その。」
沈黙が物理的な力を持って俺の喉もとを締め上げる。なんだか泣きそうだ、俺。
「…泰造。俺に何か用があったんじゃないのか?」
「用というほどじゃないです…。ちょっと雑談でもしようかなって思って。」
「雑談?したら良いさ。聞いてやるよ。」
静か過ぎる声に半ば気押されて、俺は関節全てがさび付いたような気分で南原さんの隣に座る。
こうなりゃ自棄で俺は当初の予定通り、昨日見た映画の話しを切り出した。
タイトルを告げ、見たことがあるかと訊くと、微かに首を横に振るので、いつものように
最初から最後まで事細かに映画のストーリーを説明していった。
身振り手振りを交えながら、なんとか伝えようと奮闘する。
普段の南原さんなら間に茶々を入れたり、笑い出したりするのだけれど、
今日はやっぱり違った。俺が何かを問い掛けると小さく頷いて見せるだけで、
結局一生懸命話したにもかかわらず、その透明な表情を崩すことは出来なかった。
「南原さん…やっぱり今日…おかしいです。いつもと違いすぎる、南原さんじゃないみたいですよ?」
おずおずと切り出すと、南原さんはゆっくりと俺を見据える。俺のほうが背が高い上に、
姿勢を崩して座っているからその視線は自然上目遣いになる。それがさらに表情を読めなくさせていた。
「俺は俺だよ、一人しかいない。ただ、誰のための俺かと言うことだけだよ。
今の俺は、俺のための俺なだけ…。違うように見えるのはお前の中の俺とずれているからだろ。」
相手に聞かせよう、という努力をしていない声は低くて注意しないと聞きのがしてしまいそうだった。
「……え…?。」
「普段の自分が無理をしているわけじゃない。でも時々は、全部捨てて組みなおしたいときもある。
今日がたまたまその日だっただけだよ…。―――泰造。」
「は、はい。」
相変わらず南原さんの声にも、表情にも異物である俺に対する反応は殆ど見られない。
無闇に無防備で、見つけてしまったことを後悔させるようだった。
「今の俺が嫌いなら、いつものに戻すよ。でも、平気なら、しばらくこのままにさせておいて…。」
それだけ言うと、また俺から視線をはずし、ベンチと同化するように静かで揺らぎのない、
それでいて指一本触れると波紋で崩れてしまう水のようになってしまった。
俺はなんとなくこの人をずっと観察していたくて、そのままベンチに座りつづけた。
それは見てはいけないといわれたものにひどく惹きつけられる心理によく似ていたように思う。
俺はずっと黙っていた、南原さんの言葉の意味を考えながら。
隣に俺が居座りつづけるのを確認した南原さんが、
一瞬だけ千切れそうな痛みを表情にのせたことには…気付かない、振りをした。


二時間後、収録はやはりというか押していて、スタジオは焦燥感を伴った緊張につつまれる。
俺の視線の先で南原さんは内村さんと話している。
台本についての意見を求め、二人で考えて修正し、小松っちゃんに大声で許可を得る。
真剣な、でも満面の笑顔で手を振っている。
次の瞬間には隣の内村さんの肩を叩き、からかうことも忘れない。
困ったような笑顔の内村さんを見て、さらに楽しそうになる。押している収録の中でも変わらない、
"いつもの"明るい屈託のない南原さんだった。
でも俺の脳裏には、さっきの"自分を組みなおしている"あまりに
無防備な彼の姿がちらついてしょうがなかった。
人は誰だって結局自分のために生きる。
でも、どうしようもなく優しい人は誰かのためにばかり生きてしまうのかもしれない。
そして一人で、本当に一人で自分を見つめ
なければ壊れてしまうのかもしれない。


見てはいけない、南原さんのジョーカーを奪ってしまったような気がして、
俺は焼けつくような胸の痛みと嗜虐心にも似た
感情からしばらく解放されなかった――――――



あすか様からのあとがき
こじかさまにリクエストを頂いた、泰造くんと南原さんの
お話です。
すごく暗いお話でちょっと申し訳ないです(^^;)。
でも、私は以前から南原さんにこの小説に近いイメージを
持っていたり…。一人になったときに出てくるもう一人の
内省的な南原さんがいるのでは、と。
まぁただの想像なんですけれども。
こじかさま、こんな話になってしまってごめんなさい(;;)


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