西双版納(シーサンパンナ

旅行好きの中国人の誰もが一度は行ってみたいと言う、所謂、西双版納は、
中国雲南省の南西部のタイ、ミャンマーと国境を接している西双版納タイ族自治州を言う。
州都が景洪(ジーホン)、標高は約500mに位置する。
通称、海抜0mから5000mと言われる雲南の最南端に近い。
多くの少数民族が暮す地でありタイ族発祥の地だ。
景洪からタイへ船便があるのだが、
水量の増減や盗賊の出没の関係で運行状況が極めて怪しい便と聞く。

昆明か景洪まで、双発のジェット機、あっという間だ。
降着場の出口で女の子が両手で捧げている白い紙に私の名前、苗字氏名が書いてある。
狐につままれたようだが、昆明の丘さんの心配りだろう。
ガラリと広けた周囲に緑の山が霞んでいる、大きな盆地のま真ん中だ。
空は澄み切って爽やかな風が心地よい。
まだ2月というのに、女性達の殆どがノースリーブ、
日本の雨が降らない梅雨、6月末の気候だ。
椰子の並木道を快調に飛ばして景洪の中心のホテルにチェックイン。



15階くらいの白い近代的なビル、屋上の時計台が4時を示している。
ロビーで旅行社の中年のおばさんが待っていた、 いかにも遣り手の感じだ。
こちらのカタコトの中国語と英語で全て理解してくれる、客慣れしたベテラン、
「何かご用が有れば何でもおっしゃって下さい」
と、電話番号をメモして帰っていった。





付近を散歩して、手持ちのラーメンを飲み込んで、一寝入り。
案内書に按摩の案内が有る。
日本では何処かの温泉に行くと、必ず、按摩するのが習慣になっているが、
中国に来てからまだ按摩の経験が無い。
本格的タイ式按摩とある。
フロントに電話すると、部屋には来てくれないらしく、
「3階に有ります」
と素っ気無い。

3階で、
二人のボーイが仰々しく案内して呉れたのは個室だ。
シーサンパンナで一番のホテルでまさかとは思うが、
これは例のいかがわしい奴かな、と身を固くしていると、タイ系の美人がニコニコと現れた。
20歳にはなっていないだろう。
心配したものではないらしい、45分も、普通にやってくれた。
頭の按摩に特徴が有るが岳陽の床屋の按摩とどっこいどっこい、まあまあというところだ。

按摩し終わると、小さな紙片を差し出した、意味が判らなくて躊躇していると、
どうも費用らしい、適当に、20と書くと、ニコニコ首を左右に振って、
「もう一つ」
○だと言う。 あれれ、としているうちに先程の二人のボーイが、
不自然なくらい慇懃に、世話を焼いてくれる、靴まで捌かせてくれた。
帰ろうとすると、二人が差し出したのは、さっきのオネエチャンと同じ紙片、
「幾ら」
と聞くと、ニヤニヤしていて、
「お気持ちだけで..」
と言ってるようだ。
何だか薄気味悪くなったので、30と書くと、納得したようだ、放免してくれた。

精算所で請求されたのは、320元、ホテル代並みだ、日本円で5000円くらい、
日本の温泉での相場が4500円、まして中国だ、どうもやられたようだ、口惜しいから、
「明細書を書いてくれ」
というと、何やら書いてくれた。
中国に来て6ヶ月、始めてぼられた経験だ。
まあまあ、傷が浅くて良かった、くわばら くわばら!
君子危うきに近寄らず..だ..


206
7時に目が覚める、まだ薄暗い、やはり、西に来ているのだ。
ホテル前の孔雀湖と言う小さな公園をぶらついて、人を眺める。



南国の陽光の中にいろんな顔が現れる。
土地の人と旅行者と半々くらいだりうか、殆どが中国人だ。
皆写真好き、公園をバックにポーズを決めている熱心に子供を撮る父親母親、
日本の何処ででも見られる風景と変わらない。
カメラを携えている人が多く、
二、三人の写真屋のお姐さんが客を物色しているがみな手持ち無沙汰だ。
やっと客が付いた、一人が緑色の布をパッと広げ客の背後に垂らす、
客が神妙な顔でコチコチに直立不動のポーズを取る。

リンタクを拾う、自転車の後ろにリヤカーをくっ付けたようなものだ。
当然人力、これが街の中を無数に走っている。
街の中を巡回しているバスもなさそうだし、タクシーを使うには街が小さいのか、
このリンタクがこの街の重要な交通手段のようだ。
運転しているのは男性女性が半々くらいだろうか、
中年男の運ちゃんに、
「幾ら?」
「5元」
「高い、3元」
「じゃあ、4元」
「OK」
我ながら、だいぶ板に付いて来た。


民族風情館、
昆明の民族村はだだっ広い平原の中に如何にも造られた部落がポツンポツンと有るのだが、
ここの民族風情館は密林の中、
緑のトンネルを潜ると、次々に全くそのまま?の少数民族の家屋が出現する。

まず、軍鶏の闘鶏、日本で観た事があるが、此方が本家のようだ。
始まるまでが大変、三人の男、二人は軍鶏を抱え、
一人はブツブツと呪文を唱えながらドンブリの水を榊のような葉で辺りを清める。
今度は場内を一回りして、観客を清める。
いよいよ2匹の軍鶏が向かい合わせられて、闘いが始まる。



凄惨な闘いが続く、一匹が後ろを向いて、観客席に逃げ込むと、引き戻されて、頭を撫ぜながら、
水を与えられて、仕切り直し、こんな具合で、何回か途中に休みが入り、又闘いが再開される。
さっき逃げた方の軍鶏も直ぐに立ち直り立ち向かって行く、闘争本能なのだろう。

それぞれ一軒の民家があり、その中にその民族独特の生活用品が陳列されていて、
民族衣装の女の子が、中国語で説明案内をする。

この様な所だから当然ながら各民族の選り抜きの美女を揃えているんだろうが、
どの民族も暫く見ほれてしまう美女だ。
タイ系の美女に共通しているのは、憂いを含んだ瞳の深さだ。
こんな瞳でじっと見据えられると、思わず身振いしてしまう。









民家はどれも、所謂、床上げ式で、生活空間は二階以上にある、



面白いのは寝室、何処の民族の民家も寝室が中心、飾りも一番華やかだ。
場内に幾つか広場があり、其処の舞台で民族舞踊や民族音楽が演奏されている。


一つの広場で騒ぎが始まった、水のかけ合いだ。
若い男女が洗面器のような器で互いにかけ合う、
全身ずぶ濡れになっても、まだかけ合う。





タイ族独特の赤、橙、黄、青、色とりどりの薄い布の衣裳が濡れた肌の線をくっきりと描き、艶めかしい。
観ていると、どうも、意識し合った男女がだんだん近づいて、意識的に水をかけ合っているようだ。




帰りもリンタク、又女性だ、降りる時2元渡そうとすると、
「3元」
と言う、5元渡すと、もう、ニコニコだ。

ホテルに戻って、ラーメン食べて、一休み。
春歓公園まで自転車で行ってみようとしたら、
ホテルに自転車の貸し出しは無い、歩くには遠すぎる。
またまた、リンタク、小股の切れ上がったいい女だ、20代後半か、女は、
「20元」
と言って、譲らない、地図で見ても確かに遠いい、しかし、20元は高い。
暫く話し込んでいたが、他のリンタクも通らないので仕方無しに乗り込んだ。
威勢良く漕ぐと女の逞しい尻が、目の前でモリモリと左右する。
確かに遠かった、30分はたっぷりあった。
いかにも健康、をこの目で見た。

折角リンタクで乗り付けたのに春歓公園の門は閉まっている。
公園の前の売店をからかって、さて、どうするか考えていると、
「帰りは安くするよ」
さっきのリンタクの女だ。
ガイドブックに依ると、この界隈が一つの見所のようなので、一寸歩いてみたい。
そんな素振りをすると、女は納得して、尻を左右して帰っていった。

何時の間にか、夕闇が迫っている、タイ族独特の民家が並んでいる、少し歩くと、
ワイワイガヤガヤ、もう人が道にまで溢れているかと思うと、
急に人通りが絶えた暗掛かりが有ったりする。
「日本人行方不明...」
の記事の主人公にも成りそうな気配がして、思わず後ろを振り返る。
暫くすると、歌や踊りを見世物にしている大きなタイ風のレストランが並んでいる。
その一つ一つが物珍しく、大分歩いてしまった。

来た道を3分の2くらい戻ってから、リンタクを拾う。
今度も女だ、此所の女は本当に元気だ、 姿形もまあまあ、
「幾ら」
「1元」
乗る前に必ず値段を聞くのが鉄則だが、1元だか5元だか良く聞き取れなかった。
ホテルの向かい側に着いて、1元渡したら、
「あんたのホテルはそこだよ」
と指差す。

昨夜の200元、さっきの20元、今の1元、
皆、肉体労働は肉体労働だが、どの女が一番幸せなのだろうか?
現在? そして10年後、20年後は?
「幸せ」の定義なんて十人十色なのだから何とも言えないが、
彼女たちは彼女たちでそれなりに一生懸命生きているのだろう。


207
9時頃起きだして、付近の朝市へ、楽しくて端から端まで歩いてしまう。
米、バナナ、玉子、しゅうまい、を買う。
馬鹿みたいに安い、全部で10元に満たない。
売ってる人々の顔の一つ一つが、また、魅力的なのだ。

今日はアキ(岳陽の同窓生、19歳、独身男性)と落ち合う日だ。
約束の時間少し前、落ち合う約束の新華書店前、誰も居ない。
地図に載っている本屋なのに、田舎の万屋に毛が生えたようなものだ。
いろんな雑貨に交じり申し訳程度に本が置いて有る。
やがて、アキがやってきた、久しぶり、と言っても半月位か。
ホテルに戻って情報交換、アキにシャワー提供、彼の宿ではお湯が出ない、水シャワーだそうだ。
聞いてみると、彼の宿賃はなんと10元、こっちの30分の1、
大きな店の跡取り息子が良い経験をしてるわい。
一休みして、生ビールの美味しい店にアキが案内してくれる、魚の煮物が美味しい。

昨日行きかけた春歓公園、アキは既に行ってのだが、付き合ってくれた。 
立ち並んだ売店を通り過ぎると、タイ族のお寺、靴を脱いで上がる。 
中央に坐る仏像、日本のとは違ってキンキラキンで顔付きも締まらない。
部屋というか拝堂のなかには、陳列ケースがズラリと並んでいて、
中にはお守りとか、腕輪、首輪などの装飾品も沢山飾って有る。

若い二人の女性が選らんだのは腕輪、
もっともらしくい顔で椅子に坐っている貫禄の有るお坊さんがこの腕輪を水で清め、
念仏のようなものを唱え、
跪いて一心に祈る彼女たちの腕に嵌めてやる。
今度は若い男が何やら飾り物のようなものを選んできて、さっきの女性達と同じように、
清められ、念仏を唱えられ、満足して、お金を払っている。
日本で見るお守りとか御札の如き物なのだが、
こちらの違う所は、
こちらでは、これを求める人々に、
改めて一つ一つの品物に霊験を込めて居るのだ。

境内の参道に沢山の露店が立ち並ぶ、骨董品が多い。
その中の一つに、昆明のホテルに有った明時代?の花瓶に良く似たのがある、
「幾ら」
「180元」
「高い」
「幾らなら買うか?」
一桁一桁と心の中で呟くのだが、何だか申し訳なくて、18元とは言えない、
「80元」
「いいよ」
欲しいと思っていた奴、贋物に決まっているが、贋物としても馬鹿に安い。
後であのホテルのと比べてみよう。

公園を出たところでアキが、
「この奥に、観光客が行かないタイ族の部落があるよ、行ってみる?」
彼は10日前からシーサンパンナでブラブラしている。
公園から、幾らも行かないうちに、辺りの雰囲気がガラリと変わる。
こんな町中に、こんなひっそりとした部落が、と思うほど静かだ。
一軒一軒が大きな敷地に大きな建物、
みな床上げ式住宅、キチンと四方を煉瓦の塀で囲っている。
塀の中から、バナナや椰子の木が路地にはみ出す、いかにも大所帯家族の感じだ。



 





近くで遊んでいる幼児は皆裸足だが皆澄んだ目をしている。
カメラを向けるとキャーキャー言いながら逃げていった。
かと思うと上から下まで正装?と思われるほど煌びやかな、



色彩豊かな衣裳に身を包んだ小学生位の少女の一群が傍らから不意と出てきて、
傍らへ不意と消えて行く。
この子達は皆、白いサンダル履きだ。 
なにか映画の一場面を観ているような錯覚に陥る。

帰り道、**民族展示場の看板に惹かれて覗くと、骨董品の山、
さっき買った明時代?の花瓶の対に4800元の札が付いている。
こちらでは花瓶は対で使うのが普通の様だ、 
アキが、「ナンデ、明時代って判るの?」
と質問する、と、やおら花瓶の底を裏返して、茶色の印章を見せる。
「幾らなら買うか?」
ときた、この質問が来た時は桁を変える、が鉄則だが、桁を変えたとしても高い。
勿論、本当に明時代のものなら大変な掘り出し物なのだが。
別の店で、タイ式の独特のデザインの花瓶が20元、
「15元」
と言っても、頑として譲らない、こうゆう所も有るから判らない。

昆明のあのホテルの2階の店にブラリと三回行ったが、私以外の客が居たことがない。
一流ホテルの目抜きの場所に店を構えて、人を雇って、どんな経営しているのだろうか、
つむじ風の様に来て、つむじ風の様に帰って行く団体客相手の商売なのだろうが、
商売する方も、買わされる方も大変なことだ。

夜、アキがドミトリー(安宿のこと)で知り合った長春大学の留学生3人と焼鳥屋へ、
これがまた美味しい、屋根は有るが四方が筒抜けの倉庫のような広場、
地べたスレスレの低い椅子に丸く坐り、真ん中の石の囲炉裏に炭火、
金網の上にモツ、
精肉、タニシ、鶏、ジャガイモ、ピーマン、例の丸く開いた魚...
片っ端から乗せて、煙の中で食べる。
彼等は常連のようだ、
「おばちゃーん、ビール」
「おばちゃーん、ナントカ」
傍らの屋台で小父さんと調理しているおばちゃーんと呼ばれたおばちゃんも、
「一寸マッテ」
「ハイ、ハイ」
とか、日本の屋台の焼鳥屋にいるようだ。

大学休学中、大学を卒業して浪人中、予備校生、高校を卒業したばかりで進路未決定の若者、
こんな彼等が中国に留学中なのだ。
いかにもけだるそうな、物憂げな彼等、しかし、時折見せる彼等の眼光は鋭い。
狼の群れに居る一匹狼の感じなのだ。
口数も少ないし、多分お金もそんなにもってないだろう、
しかし、もっと大事なものを着々と蓄えているような気がしてならない。
こんな年代に、こんな旅を経験している若者達の将来はどんななのか、非常に興味がある。


208
8時にアキと落ち合って、杪養(モンヤン)へ、
景供からバスで45分、この45分が凄い山道の連続、
大きな団子を並べたような山道を左右に揺れながら昇って行く。
この辺の山は、みな禿山だ。
無秩序な焼畑が原因なのだ、例の毛沢東の悪政が有ったのだ。
その禿山の斜面に等高線を描いてような筋が随所に入っている、
新しい植林が始まっているのだ。

山々又山を抜けた盆地がモンヤン、此所の名物のカジュマルの古木、
恰も象が立ち上がっているのに似た木で、象根と言われている。 



市場を覗くと、いろんな民族衣装の人々でごった返している、殆どが食料、衣料、日曜雑貨品、
品物は見るべきものはないが、人々を眺めているのが楽しい。





お歯黒のお婆さんを見つけた、アキと一緒に写真に収める。
人懐っこくて屈託無くて物怖じしないアキが、



肝っ魂かあさんの感じのお歯黒のお婆さんと腕を絡ませる。
お婆さん、デンと胸を張って、とても、元気だ。
昔の日本のお歯黒の風習は中国雲南辺りから伝わったもの、と聞いていたが、
中国人の先生も含めて昆明の学校では誰も信じてくれなかったが、
これでやや立証されたようだ。

近くの旱タイ族の村で手織物を売ってくれると聞き、エンタクを雇う。
モーターバイクに幌付きの荷台、西部劇等で見る二人乗り馬車の、
馬がバイク、そんな感じの乗り物だ、これがバス停付近に屯している。
往復20元/二人、交渉時に、ただ20元だと、後で一人20元だと請求されることがある。

ずいぶんと乗りでがある、田園地帯の一本道を物凄い埃りを立てて驀進する。
集落に着いて、通りから両側が民家の間の小道をすり抜けると、そこそこの広場が開ける。
少年が一人、物珍しそうに我々を探る目付きだ、傍では豚が散歩している。





広場の両側は民家が並んで、その一つの軒下で老女が、いかにも旧式の織物機で奇麗な布を織っている。 
丁度、底の無い舟に乗っているようだ、暫く、見学する。
パタンパタン、スースー、織機の音に、時折、豚や鶏の声が交じる。
白地に、黒、赤、黄色、緑の糸を手と足で操る、間違い無く手織りだ。
今織りたてのものが、やたらと欲しくなる。
巾が30センチ、長さ1メートルで100元、80元で求める。

 

辺りの家から4、5人の女が、それぞれのご自慢なのだろうか、手編みの布を抱えて出て来る。
もう買ってしまった後なので、そんなに買物出来ない、二つ三つ御義理で仕入れる。 
人の気配を察したのか、男達も数人、と言っても老人ばかりだが、のそりのそりと出てきた。 
余り観光客ズレをしてない様だ、アキが、
「一緒に写真撮ろう」
と言うと、素直に応じる。 
1軒の家の中を覗く、昨日見たタイ族の高床式の住宅とは全く異なる。
同じタイ族でも旱タイ族の風習は異なるのだ。 



壁も土壁で、薄暗い部屋の中は、土間を中心に、家財道具が並んでいる。
ベッドもある、老人が小さな低い背の無い椅子に腰掛け、大きな竹のパイプで煙草を吹かしている。 
奥まった別部屋が台所の様だ。 

エンタクの運ちゃんが、
「もう少し先に行くと、花腰タイ族の部落が有る、そこには素晴らしい織物や刺繍が有るよ」
我々が織物や刺繍に興味を示すのを見て取ったのだろう、
「そうねー、50元で花腰タイ族部落まで行ってあげるよ」

話には聞いていた花腰タイ族、部落の様子が見れるだけでも大満足だ。
部落の一軒一軒は垣根で仕切られている、竹の垣根だ。



竹篭の編み方そのままが垣根になっている。
余り人影はない。
2時から日没までは野良に出るのが習慣なのだそうだ。
やっと、一人の若い奥さんを見つけた。
案内人が何か言っても物憂さそう、と言って嫌な顔はしていない。
「売る為に作ってるんではないよ」
そんな顔で、渋々取り出したのは、白い地に、色彩豊富な刺繍を施した手提げ袋、
手垢が付いてるようでも有るが、見事な刺繍だ。
「50元」
を、アキは拝み込んで、「40元」にして貰う。
アキの笑顔にやられるのは、民族に関係無い。

少し行くと、今度は可愛い娘さんが、織っている。
「自分のスカートが古くなったから新しいのを織ってるの」
アキの通訳だから怪しい。
案内人が、「何か売れるもの無い?」と聞いたらしい。
今度は黒地に多色の刺繍、
「60元」
「50元」
「OK」
100元出すと、
「お釣が無いから駄目」
こんな所で、両替のしようが無い、諦めた。
娘さんは別に残念そうな顔をしていない。
売りたくないのか、50元のお釣の工面が面倒なのか?

また少し行くと、今度は一家が揃って笑顔で庭の中に入れてくれた。
奇麗なスカート、厚手の黒地の布のスカート、腰から踵までの長さで筒状になっている。
膝下3、40センチはビッシリと繊細な刺繍で埋まっている、
「500元」を「300元」迄してくれた後は、
アキが何とか安くしてとおどけても、頑として譲らない。
上から下まで、全ての衣裳を見せてくれた。
頭巾の様なものから、上っ張り、腰飾り?エプロン?脛当て?、全部で5、6種類有るだろうか、
「この間、アメリカ人が、一式、1000元で買って行ったよ」
丁度其処へ、
日本の田舎ではつい先ごろまで当たり前だった姿、
背中に幼児を負んぶした老女が入ってきた。



上から下まで、今見せられた衣装を身に付けている、全くの日常の衣装なのだ。
しかし、1000元と言うと、10万円、とてもとても..で退散。
(一桁間違えていたわけではありません、当地の物価換算です)

ぐるりと村を一回りして道に出ると案内人が車を取りに行く、
アキと二人でしゃがみ込む、何か吹っ切れないのだ。 
少数民族の衣装蒐集にとっては花腰タイ族の衣装は涙ものなのだ。

と、向こうの家で男が手招きする。
行ってみると、いろんな物を持ち出して来た。
さっきと同じような物もある。
「300元」
確かに見事に綺麗だが、これを買っても使い道が無いわい、
と冷静になる。
待てよ、○○さんちのテーブルクロスにピッタシかも....
「200元」
流石に首を横に振る、帰ろうとすると、
「250、230、220」
また、帰ろうとすると、
「よし、200」
と言って、放り投げた。
あの旧式の機械で、一本一本糸を操り、これを織り上げるのに幾日掛かっているのだろう。
申し訳なくて、男の顔を見ないで金を渡す。
(あれから、このスカートを、時々、取り出してみては悦に入っている。
民族衣装を奇麗、エキゾチック、位には思っていたが、
その価値に気付いたのは最近の話、あの時の一式「1000元」が悔やまれてならない。
あの当時、半年間の中国生活でお金の価値が変わってしまっていて、
100元は日本円の1万円弱、この物価感覚が身に付いていたのだ。)
同じタイ族でも 花腰タイ族の刺繍入り衣装は特に定評があるのだ。

 


明日は車をチャーターしたい。
旅行社に電話したら、あのおばさんは出掛けているようだ、電話に出た男が、
「其処で待ってて下さい」と言ってる?らしい。
暫くすると、男が現れた、
おばさんから私の事を聞いているらしいが、英語が全く話せない。
カタコトの中国語と筆談で、兎も角、明日の車チャーターの話が決まった。
朝8時出発、6個所観て、夕方7時ホテル帰着、2名で500元、車種はギャラン1800cc。
「現金が無い」
と言ったら、
「隣が銀行」だった。
たんまり両替、これでお金の心配は無い。

一休みしたらアキがやって来て 昨日の生ビール屋へ直行。
中国の田舎町で生ビールが飲めるところは、そうやたらとない、極めて貴重なのだ。
天真爛漫なアキだが、彼なりに悩みがある。
一人息子なのに家業は継がない、といって、将来どうするか決まってない、親に心配掛けたくない。
日本に居る恋人のことも心配、どれもこれも19歳の青年の当然の悩みだ。
親子以上の歳の差があるのに、こんな話になると、歳を忘れての同級生、
ビールを何倍飲んだか忘れるくらい、散々話し込む。
「写真を撮りながら世界中を歩く、だから、日本に帰ったら写真の学校に行きます」
彼の腹は決まったようだ。


209
朝8時過ぎても車が来ない、やっと電話が通じる、
「寝坊したようです」
40分も遅れてギャランがやって来た、全く悪びれた様子も無い、当然ですって顔だ。 
それから悠々とガソリン入れて、9時に出発。
走り出したら、速い速い、何台も車を追い越して、一時間でモウカイ(「孟子の孟に力」海)に着く。

奇妙な形の景真八角堂、
高さ20メートル、31面32角の複雑な形、魔除けの鏡が四方に嵌め込んである。



タイ族仏教建築の中でも最高級のもので国の重要文化財だそうだ。 
折りから、境内の一角が着飾った人々で賑ぎ合っている、人々の輪の中心で若い女が歌っている。



と、周囲の人垣を分けて女の前に近づいた男がその女にお金を手渡す、裸のお金だ。
周囲からドッと歓声が上がる、どうやら結婚式の御祝儀だ。
これが次々に続く、恰幅の言い中年の男が渡すと歓声はひときわ大きい。
与えているのは親類縁者なのだろう。
これだと、**おじさんは**円出した、++おじさんは++円だったというのが、
取り囲んでいる皆に丸見えだ、それがリーゾナブル かどうかで、歓声の大きさが違うようだ。 
或る意味でフェアーであり、合理的でもある。

傍らに、
何人かの幼児が上から下までこれ以上飾れないほどの正装をして何枚も布団を重ねた上に鎮座している。



恰も高僧のようにだ。 
これも、この辺りの結婚式の一つの決まり事なのだろう。
タイ族の結婚式進行中の一場面に出っくわしたのだ、
一部始終を見たかったのだが..

村を一廻りする、豚、鶏、七面鳥が悠々と散歩している。
今日は特別な日なのだろうか、行き合うの女性は、皆、民族衣装だ。
あるいはこれが常時もの服装なのかも知れない。



広い盆地は田畑で埋め尽くされている、その一角の村落、
仲々立派な煉瓦造りの家並みがこの辺りの人々のまあまあの豊かさを物語る。







そんな一軒から若奥様が出てきた。
カメラを向けると優しい笑顔で応じてくれた。

寺の入れ口に戻ると、売店が開かれていて、突然、日本語で話しかけられた。
「これはハニ族のものです」
まあまあの日本語だ、20歳くらい、ハニ族の女性だそうだ。
昆明で半年間日本語を習い、後は独学で勉強しているとか、開かれたノートは日本語で埋まっている。 
私の持っていた案内書を見て、
「売って下さい」
と言う、仲々、日本語の教科書が手に入らないのだそうだ。 
貪るように案内書を見ている姿は迫力が有る。


車で、少し奥の漫塁仏寺。
屋根の角角の飾りに特徴がある。
良く見ると、龍のようだ。
横になっている龍は見たが、此所のは皆立ち上がり、或る間隔で屋根の稜線に並んでいる。
何処かで見たことのあるイメージ、と思い出したのは名古屋城の"しゃちほこ"、
もしかして、あの原形ではないだろうか?
しかし"しゃちほこ"は尾鰭を挙げていたような....



一つの部屋で、子供の坊さん達が、勉強している。
あどけない少年達だ、カメラを向けると、Vサインを送ってくる。





利発そうな一人が黒板の前で差し棒を握っている、リーダーのようだ。

お寺の前の道路には店が4、5軒、店と言っても茣蓙の上に柑橘類、豆類がダダッと広げられた店、
ひまわりの種は一掴み一毛、四角い羊羹の様なものも一毛、
一毛は一元の十分の一、
驚くなかれ、日本円で凡そ1.5円なのだ。
店番の老女も中年のおばさんも丸々している。









中学生くらいの女の子達の笑顔の屈託無さは、
今迄見て来た何処の国の女の子にも無いものだ。 



貧しさと顔付きとは必ずしも関係無いと確信する。
この辺は案内書には出てない。
地図だけを頼りでやって来ているのでこの人達が何族かは判らない。
店先に豚がやってきた。



モウコン(「孟子の孟に力」混)で昼食、此所はサンデーマーケットで知られている。
もし日曜日なら人込みで凄いに違いない規模のマーケット、今日は月曜日で閑散、
それでも、何軒かの露店は開いている。

シーサンパンナの中心が景洪、
ここから西へ車で2時間ほど行った所がモンフン(杪混)、ミャンマーとの国境は間近だ。
モンフンから、また少し入って、
これも案内書には無い弄養布朗族と言う名の部落だそうだ。
モンフンが広々とした平野の中に有るのに、
モンフンから2、3キロしか離れていないこの部落は山間の狭い傾斜地、
石を置けばコロコロと転がり落ちるような所に、民家がぎっしりと寄添っている。  



道路から望む部落の全貌は幻想的、としか言いようが無い。
部落の入れ口に、水場があり、何人かの人達が身体を洗っている。



素っ裸の子供が母親に頭から水を掛けられている。
長い髪を洗っている女も居る、27、8才であろうか、
もろ肌を脱いで、逞しい肩を惜し気も無く出して、チラっとこちらを覗ったが、
何事も無かったように、髪を洗い続ける。

部落の中は、人一人がやっと通れるくらいの小道しかない。
当然、自転車とか耕運機の様な、車輪の付いたものは見掛けない。 
どの家も、丁度、黒沢明の七人の侍に出て来る江戸時代の民家のようだ。
木製で、屋根は萱葺き、壁はなく、竹を縦に編んである。

子供たちが寄って来た、みな裸で裸足、体中埃にまみれている、でも、みんな元気だ。
ワイワイガヤガヤ、カメラに笑顔を向ける。
中に一人、どうしても、はにかんで俯いたままの少女が居た。



古今、少数民族の間でも勢力争いがあり、力の弱い民族ほどこうした山奥に追いやられるのだ。
今日一番始めに訪れたモンハイ(杪海)の近くの部落からは車でたった2、30分の距離なのに、
考えられない差の大きさだ。

子供たちが勢い良く坂を駆け下り出して森の方へ向っている。
アキと目配せして後を追い掛けてみた。
部落の外れの林の中の、風通しの良い、すこし開けた広場で、
二三人の男が石の竈に掛かった大きな鍋から子供たちに何か食べ物を与えている。
大きな木陰だ。
転がっている丸太がテーブルと椅子、天然の食堂だ。
共同生活の一端なのか、食事の世話係が男達なのも面白い。



村の直ぐ脇を、シーサンパンナからミャンマーに抜ける幹線道路が建設中。 
やがて、この村も文明とやらに害されるには時間の問題。 
若い母親が赤子をあやしている、16、7歳だろうか。
「何とか、此の侭にしておいてあげたいですね」
アキが呟く。


モンハイ(杪海)に戻り、アキと別れる。
アキは此所で一泊して、明日、ミャンマーとの国境の町、打挌を目指す。
川の向こうの丘にこじんまりした部落が広がっている。
此処はガイドブックにも出ているハニ族の部落だ。
一人しか渡れない吊り橋を渡り始めると、向こう岸に、民族衣装の女達が現れる。
私が渡り終わるのを待っててくれてるようだ。



左右前後に揺れて覚束ない。
足を急かせれば急かせるほど揺れが大きくなって思うように足が進まない。
吊橋を渡りきると、女達に取り囲まれた、10人くらいはいるだろうか。



手に手に、布、袋、カバン、財布、銀?製の器、等々を目の前に差し出す。
「不要、不要」
と言って、小山のような部落の急斜面を登り始めると、皆、ゾロゾロと付いて来る。
手にしている品物は皆今迄に見た物ばかりだ、何処までも付いて来る。
何か買わなければ納まりそうも無い。 収集している"笛"を思い出した、
「笛はない?」
と、尋ねると、一人の女の子が駆け出して行って、
戻って来ると、手にしているのは、
私が収集の対象にしている民族調の笛ではなく、普通の横笛で余り魅力無い。
80元と言うのも吹っかけている。
しかし、終始くっ付いて来るので、何か買ってあげなくては悪い気がして来た。
リーダー格の女の子が持っていた銀もどきの小さな水差し、50元を遠慮して40元で求め、
あと何のかんのというのを振り切って車の方へ戻る。

吊り橋のところでフッと振り返ると、まだ一人付いて来る、流石にムッとして、
「不要、不要」
と連発すると、何と、黙って差し出したのは私のガイドブックではないか...一瞬息を飲む。
何処かで落としたのだろう、申し訳なくて、銀もどきの腕輪を買ってしまった、二つもだ。

車で1分も行かないうちに、やや大きめの広場が有り、大きな立派な吊り橋も掛かっている。



運ちゃんが指差す方向にお宮らしき物が見える、その右側が、さっきの部落だ。 
さっきの部落への正面玄関のようでもある。
運ちゃんが、
「あそこに**が有る」
と教えてくれてるようだ、その**は何のことか皆目判らない、兎も角、車を降りる。
吊り橋を渡りきると、今度は、小学生くらいの女の子が二人現れた。



さっきと同じような品物を手にしている。
票の様な紙片を差し出して、
「3元」払えと言ってるようだ。
これはガイドブックにも書いて有った、部落への入園料だ、
「小銭を車に置いて来てしまったので、後で払う」
というと、判ってくれたようだ。 とても可愛い少女だ。
「学校は?」
「今、冬休」
私の拙い中国語が通じると言うことは、彼女たちは、普通語が理解出来るのだ。
しきりに何か買って呉れとせがまれるが、心を鬼にして断る。
頂上のお宮まで案内してくれた。
お宮の入れ口に、女性の性器を誇張した像と、等身大の像が二つ有る、

  

「こっちが男、こっちが女」
と説明してくれたが、頭に被っている身体位の長い帽子に葉っぱのような模様がついていて、
その模様が奇数なら男、偶数なら女なのだそうだ、奇妙な像だ。 
お宮の中には直径50センチくらいの黒光りする大きな柱があり、その周囲全面に奇怪な彫刻がなされている。



動物、人間、いや、怪獣、妖怪の顔や全身、これがこのお宮の御神物のようだ。
車まで付いてきた女の子に入園料の3元を払い、二人に1元ずつ上げる、ニコニコ手を振って送ってくれた。


ホテルに戻る、キャッシュが心もとない。
近くの銀行に行くと、本店に行け、と言う、本店に行くと、明日の8時に来い、だと。
市場でブラブラして、昨日の生ビール店へ、道路との境の手摺に肘を掛けて通行人を眺める。
爽やかな気の中でビールが美味しい、2、3杯も飲んでいると、通りかかった白人が話し掛けて来た、
「英語のメニューが有るかどうか聞いてくれないか?」
聞いたら無い、後ろに並んでいる大きな生ビールの貯蔵缶を指差して、
「あれは幾らだ?」
メニューを見て、
「一杯20元だ」
「一杯はどのくらいだ?」
「多分500cc」
と言ってる時に、生ビールを運んで来た。
いつもの悪い癖で、散々飲んでもう一口にと頼んだのが小さいコップだ。
250CCか、これを見た白人、
「高い、高い」
と言って、足早に去って行った。
メニューを見ると、20元/1瓶とあった、昨日、アキと飲んだあの巨大な奴だ。
あの白人には申し訳ないことをしてしまった。


210
アキが、
「そんなに布買ってどうするの? 少しおかしいのと違う?  なんて言われちゃいますね」
と言うほど、いろいろ布を買い過ぎた。

銀行で、クレジットカードが現金化出来た、手数料が4%、結構馬鹿に出来ない額だ。
しかし、クレジットカードも現金化が可能なのは心強いのだ。
今回は、円と弗、それも現金とTC,そしてクレジットカード、これらを最も有利に使い分けてやろうと企んでいたのだが、
元々計算が弱い上に慣れないものだから、すっかり、こんがらがってしまって、何が何だかサッパリ判らなくなった。

モンロン(「孟子の孟に力」と龍)行きのバスに乗り込む。
丁度、日本の伊豆、房州と同じような田園風景が続く。
苗床から苗を取ってる姿格好も同じだ。
まだ2月というのに、田んぼが青々しい。



苗は日本のように横に真っ直ぐな列を作っていない、しかし、一本一本の間隔が大体同じように植わっているから、
手植えである事は間違い無い。

予定の二時間が20分も早くモンロンに着く。
カンカンと照り付ける太陽を浴びながら、街を一巡りする。
午前中は盛況であったであろう市場、それでも、色とりどりの民族衣装の人々が右往左往する。
衣裳はもちろんだが、背の高さ、体つき、肌の色、髪飾り、目の色、髪型、
一年も滞在しないと分類出来ないであろう多種多様さだ。





中国の何処でもそうなのだが、
女性の衣裳の華やかさには眼を見張るのだが、
男性が身に付けているものは如何にもダサい。
こんなにと思うほど不細工な格好の男が連れている女はピッカピカなのだ。

地図もガイドブックも忘れて来てしまって、何処に何が有るのか見当がつかない。
それでなくとも、この辺りには同じような地名が多い。
村を意味する「曼」が集まったものを「モン(孟に力)」と言うが、
今日のモン龍、昨日のモン海、モン混、一昨日のモン養、等々、このあたりには、
このモンと言う字が付く場所が30個所もモンモンと有るのだ。

バイタクのお兄さんに、
「この辺で一番景色の良いところへ行って」
と言うと、二つ返事で、
「OK」
が帰って来た、余程自信が有るらしい。
街道を暫く走り、左側の集落の中を横切って斜面を上り詰めたところで、車止め。
30分もだらだらした階段をのぼると、だんだんと辺りの景色が開けて来る。
車を降りた時に白人の二人連れに行き会った以外人影は無い、やっと頂上に着く、タイ式の寺院だ。



入れ口の小屋に中年の女が二人、若い娘が二人、一時間に一人か二人の客の為に四人も...
5元支払って境内に入る。
飾り餅を重ねたような白い塔が曼飛龍の塔というシーサンパンナの象徴とも言われる建築物だ。
中央に主塔が有って、その周囲に八つの小塔が取り巻いている。
紺碧の空に向かい聳え立つこの塔を見ていると、中国からタイにやって来た、そんな感じがするのだ。
この辺の一番大きな祭り、水掛祭りの中心がこの寺院だそうだ。
周囲を巡る塀は龍がうねっている姿になっている。







等身大の象の像が有る、辺りに人影が無いのを確かめ、象の背中によじ登ってセルフタイマーで写真に収まる。
もう、無数と言って良いほどの花々に無数と言ってよい蝶が乱れ飛ぶ、
黒、茶、黄色、そしてその組み合わせの模様、
雲南は蝶の宝庫と聞いたことが有るのが肯ける。

さっきの二人の若い女がタイ風に髪を結ってるのを見物する、どうも、 この為に二人はここへやって来たらしい。
何時の間にか、上着にズボン姿の二人がタイ女性独特のワンピースに着替えている。







後ろに唯束ねただけの髪も上の方で丸めて髪飾りを付ける、
人民服姿の田舎娘が見事なタイ美人に変身した。



長い階段を降りきり、部落の入れ口まで戻ると、こじんまりしたお寺が有る。
四方の戸口は開いたままだ。
中に入ると、中央に大きな黄金色の仏像があり、



太い朱塗りの柱には様々な金色の模様が描かれ、
天井からはいろんな物がぶら下がっている。
周囲の壁には、沢山の絵が描かれている、何かの物語風だ、その中に変なのがある。





素朴だが、春画ともとれる。
人間男女の快楽と成仏の関連らしいが、股間を焼け火箸のようなもので焼かれ、
もうもうと煙を出しているところなどは妙に生々しい。
これと同じような題材を別のところでも見たような気がする、
仏教の教えの中の知られた寓話なのかもしれない。

寺院を後にして、丁度やって来たミニバスに乗り込む、客は私一人だ。
ジーホンから来た街道を暫く戻ると、急に、街道から外れて脇道に入った、 旧道のようだ。
幾つかの部落を通り抜け、要所要所で客を拾う、私にとってはもってこいの思わぬバスツアーになった。
集落はどれもが高床式の寄棟屋根、広い川辺りの平野の集落だが、大きな家の集落ばかりではなく、



酷い粗末な小さな集落もある。
平野は裕福、山地は貧困、と言う予想は崩れた、そう単純なものでは無いようだ。
何時の間にかミニバスは満員、運チャンの笑顔がこぼれる。

岳陽を立つ前に、知り合いの学生、市場のおばさん、写真屋の娘達、床屋のお姐さん、等々に、
「シーサンパンナに旅行する」
と告げた時、皆、共通して如何にも羨ましそうな顔をしたのが印象にのこっている。
シーサンパンナは中国の楽園、 中国人ならば、みんな、一度は尋ねたいところなのだ。
だから、まず、旅行などに縁の無い彼等がシーサンパンナの名を知っており、
シーサンパンナとはこんなところ、あんなところ、と想像し夢に抱いているのだ。

貴重な植物、特に珍奇な薬草、そして、鹿、虎、象、豹、孔雀、なども野生に棲息している。
そんな恵まれた自然と、10以上の少数民族が引き継いで来た古い風俗、習慣、文化、そして厚い信仰心、
そんな環境に慈しみ育まれて来た風土風情が、
人々をして、シーサンパンナに熱い視線を送らしむる所以なのであろう。
そう言う私も、ただシーサンパンナと聞いただけで、
奮い立つ旅心をどうしても抑えることが出来なかった一人なのである。


211
今日でシーサンパンナともお別れだ。
夕方6時半に、旅行社が飛行場まで送ってくれるらしい、約一日、時間が有る。
シーサンパンナに来て、東のモンヤン、西のモンハイ、南のモンロンと廻ってきた。
今日は東南のメコン川沿いのモンハン(「孟子の孟に力」罕)を目指す。 
メコン河(下流はメコン河になるが、中国側は蘭滄河と呼ぶ)に沿ってミニバスは走る。
雨季には船便が有るのだが、乾季の今は運行していない。
シーサンパンナの平野が、丁度、徳利の首のように狭まった辺り、両側が崖になって、メコンが南に流れ込む。
その流れに沿ってバスが進むと、広い川瀬が、急に、ゴツゴツした岩肌をみせる急流に変わった。 
かと思うと、また暫くして、今度はゆったりとした流れになる。
こんな繰り返しをしているうちにバスはモンハン(別名ダーモンロン?)の街に辿り着いた。

バイタクの小父さんに、
「この辺に行きたい」
と地図を示すと、暫く、地図を縦にしたり横にしたりして地図を見ていて、
「OK」
が出た。

曼听仏寺大獨塔と言う名のお寺の境内は人でごった返している。
お祭りのようだ、オートバイ、バイクが並び溢れている。
小さな売店が沢山並んで、その中に、地べたに造った炭火で竹の棒を焼いている。
話に聞く竹筒飯だ。



話の種に一つ食べてみた。
仲々、コクが有って美味しい、ゆっくり食べていたら、たちまち餅のように固くなってしまった。
この竹筒飯の習慣は、
日本へ稲が伝わったのはの雲南からとの説の根拠の一つになっているとか。
この習慣は、ミャンマー、タイ、ベトナム、からインドシナ半島全域、フィリッピン、
台湾、日本にまで広域に渡って残っている。 
日本では、相模湖の辺りや富山辺りで、お祭りに出現するとの事だ。 
日本のあちこちに、もっともっと、残されているに違いない。 
そのその昔、豊富な竹が使い捨ての炊飯器だったのだ。

丸い人垣が二つ出来ていて、殺気立った男達が三重四重に囲んでいる、男ばかりだ、時々歓声が上がる。





腹から出ている声だ、人垣を分けて入ると、闘鶏だ。
丁度、片方の軍鶏が観客の中に逃げ込み、勝負があったところだ。
勝った軍鶏より更に勝ち誇った顔で軍鶏を両腕で高々と支え揚げるのは馬主ならぬ鶏主だ。  
辺りに100元札が飛び交う。 軍鶏に現を抜かす男の中国映画を観たことがあるが、
中国人の軍鶏への思い入れ様は尋常ではない。

出店が並んでいる、例の鶏血石が目に付いてしまった。
みんな小振りだが一つ550元だという。
今迄さんざん見て来て、これは紛れも無い本物だ。 
喉から手が出るほど欲しい代物、いろいろ粘って、大小5個程選ぶ、
「幾らなら買うか」
ときた、思い切って、
「500元」
「800元」
「....」
「700」
「....」
「600」
死ぬほど欲しい訳でもない、背を向けかけると、
「550」
なおも歩きかけると、
「ヨーシャッ」
で、買ってしまった、こうなると、本物かどうかも疑わしい、又荷物が増えてしまった。

日盛りの境内を一回りすると日射病にでもなりそうだ。
2軒かならんだ木陰の屋台に座り込む、道に面して机が有り、



その上に炭火の細長いコンロ、俎板、そして肉、魚、貝、野菜と材料が並んでいる。
その机の後ろが客席、地面スレスレの椅子にズドンと坐り、
例の焼き魚、これはコウギョ「(火偏に考)と魚」と言う、をつまみにビール、
このビールが生暖かい。
中国で冷えたビールを出す露店は先ず数少ない、私の経験では、三つ星ホテルで50%だ。
しかし、不思議なもので馴れて来ると、飲めないほどでも無くなるのが、浅ましいといえば浅ましい。

小一時間程しても、客は誰も来ない、隣の店に自転車の女の子がやって来た。
隣のおばさんの娘さんらしい、自分でいろいろ焼いて食べ出した。 
食べ終わると、そそくさと、また自転車で去っていった。
近所に勤め場所があって、昼飯を食べに来た、どうもそんなようだ。
隣のおばさんは居眠りを始めた。
こちらのおばさんが時々思い出したように振り返り、
「これを食うか?」
と何かと勧める、その中に、あの田螺の焼物もある。
一時間ほど居座って、
「幾ら?」
「3元」
10元置いて、釣りを寄越そうとする肩を抑える。

メコン河に沿って「渡し」の所まで歩く。
案内書によると、渡しの向こうにハニ族の部落が有るが、
外国人にはまだ開放されていないと書いてある。 



渡し舟、と言うよりヘリーボート、を見ていたら、乗ってみたくなった。
車とオートバイと人間、牛も乗り込む。
10分程で向こう岸、乾季のせいだろう川辺から50メートルもある土手を登ると、リンタクが並んでいる。
「外国人立ち入り禁止」の札でもあるのではと、キョロキョロ見廻すが札は立っていない。
そんなに古い案内書では無いのだが、それ以上に中国の変化が速いのだ。

もう一つ、変化の速さの例だが、持参した案内書には、
昆明から北の大理、麗江は夜行バスで12時間余り掛かると有ったので涙を飲んで諦めたのだが、
なんと大理、麗江は飛行機の航路が開けていたのだ。
そんな訳でシーサンパンナ滞在の予定日数を減らして、大理、麗江に立ち寄ることにしたのだ。

リンタクの若い運チャンが笑顔で寄って来た、
「何処まで行くの?」
「2、30分程、この近くを廻りたいのだけど」
「いいよ、いいとこあるよ」
「幾ら?」
「40元」
「20元」
「いいよ」
10分程で大きな寺院、運ちゃんが、
「ここの仏像はシーサンパンナで一番大きいんだ」
と自慢するだけあって、立派な仏像だ。
太い柱、壁一面の仏画、垂れ下がった飾り、
どれもこれもが昨日のお寺のものより一回り大きい。
田園風景の中、道とも畠とも区別が付かないような道を戻る。
バナナ、椰子が道に覆い被さり、西瓜があちこちに転がっている。





5時前にバスの駅に戻った、ジーホンまで45分見ればよい。
約束は6時半だから、5時に出れば充分とたかを括っていたら、仲々発車しない。 
客が埋まらないのだ、5時45分になって、やっと席が埋まり出発。

6時半にホテルに着くと、おばさんが、苛々して待っている。
飛行機は8時45分だから、充分時間はある筈だ。
「ビールが飲みたい」
と言うと、
「飛行場で飲め」
車に押し込められると相客が居る、相客を待たせてしまった様だ。 
ところが、
シーサンパンナの飛行場にはビールが売ってない、ビールの売ってない飛行場は始めてだ。

(完)

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