台北記1

東京から三時間、
食事を挟んで、ビールとワインと日本酒をチビチビやっていたら、あっという間だ。
飛行場で待機のマイクロバスに乗り込み、又三時間で台中。
一行13名に、日本の旅行者の搭乗員と現地のガイド、計15名、
搭乗員は25歳前後のお嬢さん、英語、フランス語が堪能とか、
現地ガイドのおばちゃんは65歳位、茶色のサングラスをして骨格隆々、
健康そうだ。 勿論、日本人としての教育を受け、
台湾師範を卒業し、小学校の先生、定年後、ガイドに。
日本語は私より流暢だ。
だけど、時々、例えば副詞、
[とってもきれい]が[ひどくきれい]になったりする。
50年の歳月が彼女の日本語を怪しくしているのだろう。

台北からの高速道路は高雄まで350キロ、台中まで130キロ、
高雄までの高速道路料金は日本円で約2000円、安い。
途中までは五車線だ。
右から左まで五車線をフルに使って、見事に他の車を追い越してゆく。
一面の田んぼ、2毛作なのでやっと穂が出掛かっているところだ。
高雄の方は3毛作だそうだが、政府はなるべく多毛作はしないよう指導している、
米が獲れ過ぎてしまうのだそうだ。
時々、対向車線との間に杭みたいのが見えて来る、
緊急時にこの杭を抜いて、飛行場にするのだそうだ。

これらは、皆、ガイドさんの説明からの引用だがこのガイドさんの物知りには吃驚してしまう。
宋美齢の話になった。
私は、若かりしとき、宋美齢フアンだった。
あの奥床しさの中の毅然さがなんともいえなかった。
彼女の考え方とか思想とかには全く関心ない。
西施とか楊貴妃の面影が重なっていたのかも判らない。
T.Hさん、Tさんから、
前もって、宋美齢と円山大飯店との関連情報を戴いているので益々興味が湧く。
ガイド氏曰く、
宋美齢は、宋家の富と、蒋介石の武力との政略結婚の犠牲だった。
宋美齢にはアメリカ留学時の恋人がいたのだが、
泣く泣く引き離されて蒋介石と結婚した。
恋人との間に娘が一人いたが、姉の三人目の娘として、姉に託した。
それが、昨年まで円山大飯店を仕切っていた○○だ。
宋美齢は、姪の中でも、その○○を一番可愛がった、そうな。

台中、
碁盤の目のように区画整理された市街の彼方此方が、
ひっくり返されており、開拓途上のアメリカ西部の雰囲気。

台中美術館、
台湾というより中国本土のスケールだ。
一部屋の広さ、天井の高さは、
上野の美術館の2倍、体積では4倍はあるのではないだろうか、
今回の旅の第一の目的であるR先生の個展がここで開かれている。
R先生、台湾では五本の指に入る書家で、
今回の書展は政府の主催で、2ヶ月間も展示されるのだそうだ。





(R先生のご出身晋は基隆、エキゾチックな国際港とのことだ)
それにしても、これほど沢山の大作を、準備するのは大変だったろう、
先生、
「私は作品を売らないから、みんな、手元に残っているのです」
と笑っておられた。
日本の書家先生たちへの痛烈な皮肉にも聞こえる。
後日、先生宅をお訪ねしたがこれが書の本場の大先生のお宅とは思えないほど、
質素なマンションにお住まいだ。
日本の大先生たちにお見せしてさしあげたいものだ。
先生のどの書をみても、衒い無く、気骨隆々たるものがある。
先生曰く、日本では一流の書展に入選しないと書人としての生計は
成り立たない。 また曰く、日本では流行に乗らないと....
それが是とも非ともはおっしゃらない。
芭蕉の不易流行なんて言葉と考えあわせる安易に結論の出せない話なのかも判らない。
いずれにしても、日展とか、毎日展とか、との違和感はここいらへんに有るようだ。


台北記2

台中の街の彼方此方に、日本風の古い家屋が出現する。
何のことはない、屋根瓦が日本の瓦だからすぐ判る。
其の中の一軒が骨董屋だったが、建物そのものが見るからに骨董品だ。
ガイドの説明を聞いて、一同、心なしか意気消沈してくる。

これらの日本建屋は当然ながら戦時中まで日本人が住んでいた。
日本敗戦時に全てが国民政府に没収され、蒋介石に付いてきた輩
(ガイドさんは本省人、従来から台湾に住み着いている中国人を本省人と言う、
新しく大陸から来た中国人を外省人と言う、
本省人と外省人とはいまだしっくりしてないらしい)
に提供され、本省人は入る事が出来なくて、多くの本省人が路頭に迷った。
なにしろ、蒋介石と共に200万人がやって来たのだから。
混乱は日本だけでは無かったのだ。
日本人が引き上げた後、或る洪水の時に、
日本人のお墓から沢山の人骨が地面に流れ出して、
あたりをさ迷い、これを憐れんだ台湾の篤志家がお墓を整備した。
これがこれから行く宝覚寺だ。一同神妙に手を合わせる。
本堂を挟んで、日本人墓地の反対側に、巨大なエビス像、30mはある。
エビス大仏を睨んでいると、いつしか笑顔が蘇ってくる。

宝覚寺に寄り道したので、日月潭に着いた時は、もう、空も湖も闇に包まれている。
風光明媚を誇る日月潭、
特に素晴らしいと言われている夕闇の迫る日月潭を見損なってしまった。
それでも、ベランダに出て、湖面に漂う薄明かりをボンヤリ眺めていると
ジワジワと旅情がつのってくる。
翌早朝、多少紹興酒が残った脳味噌を奮い起こして、ベッドからにじり出る。
まだ明けきらない有明の光の中に、絹の衣のような霧の帯が幾重にも湖面にたなびき、
ところどころ衣がほどけて湖面が見え隠れしている。





涵碧楼、このホテルは、以前、政府の賓客の宿泊施設だったのが一般に開放された。
五階が入り口で、断崖を背に一階まで全ての部屋が日月潭の絶景に面している。
ホテルの造りは、頑丈だが、豪華ではなく、むしろ、質素といえるだろう。
広々とした部屋は質実剛健、大きな家具がデンと置いてある。
従業員も、どちらかといえば、愛想が無い。 国営のせいか。
宿泊費はNT$1320からあるそうで、思ったよりやすい。

奇麗に磨き上げられた、いかにも台湾風の文武廟、







玄奨寺を見物して帰路に就く。


台北記3

日月潭から台中への道すがら、マンゴー、サトウキビ、レイシ、ヤシ、ホップ、
パイン、ヘチマ...色々な食物の木が車窓を過ぎる。勿論、バナナもだが、
これだけ食い物に恵まれていれば、それこそ、食い物には困らない。
もっとも、現在は、皆、人間の手が加わっているのだが。

このあたりは台湾でも屈指の水の美味しいところで、この辺で造られる
プーリー(?)の紹興酒は最高の美味とか。

車窓にお墓が出て来る、と、お墓の中に必ずバナナの木が何本か見える。
難産で亡くなった人の墓にバナナの木が植えられるのが習慣なのだそうだ。
バナナは一生に一回だけ一房だけ実がつき、実が採られたあと、
母木は枯れ絶える前に、同じ株から、子株を作る。
こんなバナナの習性にちなんだものだそうだが、何かもの悲しい。

台中の市街に近くなると、信号で停まる度に、スクーターが多くなる。
自転車は疎らにしか見えない、いつしか、自転車がスクーターに取って
代わったのだろう。
スクーターを運転しているのは、半分くらいが若い女性、惜しげも無く
格好の良い足を根元まで出して、颯爽と風を切っている。
マスクをしてる子もいるな、と見てると、何と、女の子の半分位が、
色とりどりのマスクをしてる。
色鮮やかな赤、ピンク、青とか、水玉模様、格子模様、要するに
デザインを競っているのだ。中には、ケンゾーなんてのも有りそうだ。

鹿港と言う所で、提灯屋さんを覗く、提灯に絵入れをしてるお爺さんは
台湾の人間国宝だ。 このお爺さんの提灯の絵が台湾の切手にもなっている。
店中が色彩鮮やかな提灯で満ち溢れてる。



日本の観光地の名前が入っているものも混じっている。
いくら提灯店でも、四六時中、こんなに沢山の提灯を、と訝しげに思ったら、
案の定、事前に、民生局に提灯店訪問をお願いして有ったそうな。
お爺さんは、提灯にフリーハンドで色模様を描いていく。



いよいよ台北に向かう。


台北記4
おりからのラッシュアワーをついての台北へ入る。
まず、夕食、広東料理だ。
何階建てかの料理店の二階に陣取る。
私は胃袋が少ししか残ってないので、過食は厳禁。
多種多彩な中から一つまみずつつまんで、もっぱら、紹興酒のつまみだ。
仲々薄味で日本人向きかも知れない。
私達以外は、一つの団体客が二階の殆どの席を占めている。
中央の席に、新郎新婦が入場した。
結婚披露かと思ったら、婚約披露とのことだった。



花嫁の美しいこと!
男性連は食事もそこそこに花嫁に見とれている。
奥さん方は、無関心を装い、横目で眺めている。
美しい花嫁だ。
一寸素人離れしている、女優さんかも判らない。
帰りがけにカメラを向けたらポーズを取ってくれた。

美麗華大飯店というのが台北の第一夜だが、
ホテルの中は右も左も日本人、どうも日本人向けのホテルのようだ。

夜、華西街の探索、途中、派手なイルミネーションで飾られた総統府を通る。
台湾で一番盛大な慶祝日、10月10日の双中節の飾りのあとだ。
20万人もの人がこの広場に集まって来たという。
2、3日中にこのイルミネーションは取り除かれる。
ラスベガスの様に色彩はなく、ショー的な要素も無いが、兎も角、
キンキラだ。 と言って成り金のキンキラとは違う。
中国の歴史の重みがエキゾチックに輝く..って感じかな。
当初予定の10月10日の航空券が取れなかったのは
この双中節のせいだと聞いていたが、納得。

華西街を一回りする。
相変わらずの熱気、トラさんの目付きをモットモット白くしたような
男たちが、左手に生きた蛇やスッポンを持ち、右手に包丁を持って
生血を取るまで、ダイナミックに実演しながら、その血を売っている。
以前きた時、度胸試しとかもあったのだが、この生血を飲んだのが信じられない。
路地の奥はミステリーな雰囲気で満ち満ちている。
ガイドさんがついいているので、胸を張って歩く。
何処かへ入って、何か変わったものでも挑戦しよう、なんて
思っているうちに、元のところに戻ってしまって、ハイ、それまで...だと。

ホテルに戻り、売店を覗く。
面白そうなものが色々ある。
私は小壷の収集が趣味の一つだが、格好の良い、大理石のキラキラ光る奴が、
やたらと衝動買いを誘惑する。
かれいさんのご忠告も頭にこびり付いており、胸をこすりこすり、グーットこらえる。
硯、筆、墨も格好の良いのがズラリとある。
明後日、R先生に再会するので、と、これも、グーットこらえる。
巷には、オバン族のショッピングツアーなんぞというものもあるが、
買いたいものをこらえるのは、仲々、お腹が張るもんだ。

でも、我々には紹興酒が有る。
たまたま、4人の酒好きが揃ったので、半端ではない。
一人は、台中からのバスの中で3時間も飲みどうしできたので、相当に
出来上がっている。
其の彼と、同室になる、普段話さない事を喋り出した。
2回離婚して、45歳、初めの奥さんとは子供がまだ物心付かない頃に別れた。
別れた時に、その子供を兄のところに預けた。
もう、いっぱしの青年になっている、その青年とはまだ親子の名乗りをしてない、
仕事の関係で、よく、その青年と顔を合わせる。
その青年は本当の親父の事を知ってるのかどうか、彼は判らない、と。
トラさんじみている顔がクシャクシャになる。
涙もろいわたしはたまらない。
トラさんがきちんと定職を持ってるってな男、が、彼の印象。
渋々出した名詞には、左官工事一式請負、一級技能士、職業訓練指導員とある、
しかし、如何にも独り者プンプンだ。
[よし、おれがあんたの奥さん探してあげる]
なんて安請け合いしてしまった。
あまりの人の良さに歴代の奥さん参ってしまったらしい。

明日はいよいよ故宮だ。


台北記5

朝、一人歩きを試みる。
ともかく忘れっぽいので、ホテルのカードをしっかりとポケットに忍ばせる。
台北は比較的、碁盤の目のように区画されており、なによりも、
T.HOGAMIさん達からの事前情報が豊富だから、心配無い。
以前、パリでエライ目に合った事が有る。
放射線で判り易いという先入観で、ブラッと出掛けて、
さてホテルはこの道、と行けども行けども、ホテルは出てこない。
何だかややこしい名前で、ホテルの名前が定かではない。
たまたま、同じグループの人と行き逢い、素知らぬ顔でホテルまで戻ったものだった。

東西南北の幾つかの通りの名前を確認してホテルに戻る。
途中、セブンエレブンに立ち寄る。日本のセブンエレブンと全く変わらない。
これで、一人歩きのメドがたった。

バスに乗り込んだ一行、最初が、漢方薬の店、
ショウが面白い。
真っ赤に焼けた鉄の鎖を掌でこすって、直ぐに白い膏薬を塗って舞台を下がる。
幾つかの他のショウが続いた後で、再登場して、膏薬を拭うと、火傷の跡も何にも無い掌だ。
次は鉄の棒を喉に当てて、一方を人間、我々の仲間が出演、が両足を踏ん張って
両手で構える。 エイッとお互いに力を入れると鉄の棒が見事にひん曲がる。
変わって、拳骨で五寸釘を厚い板に打ち込んで貫通させる。
確かに凄いが、こちらはなんの薬と関係あるのだろう。
精力剤とか盛んに売り込まれる。
癌の薬はないかと尋ねると、無い、と簡単に答えられた。

龍山寺、
一心に線香を捧げて祈っている人々、其の中に、さしずめ日本では
六本木とか、原宿あたりに屯しているような、若い娘さんたちが交じっている。
彼女達のお祈りの仕方は、日本のおばあちゃんたちよりも一心不乱だ。

例のガイドさんが教えてくれた。
まず、名前、生年月日、住所、そして祈りごとを言いなさい。
ハッキリ声を出さないと神様に聞こえません。
神様が聞き届けてくれたかどうか確認します。
そこに沢山の棒の入った箱があるでしょう、その棒を一本引いて、
棒の底に書いてある番号を覚えて下さい。
つぎに、そこにある半月版の木片、神片(シンペイ)という、
を二枚取って地面に放り投げて、表裏が一枚ずつ出るまでやって下さい。
表裏が出たら、神様納得、本殿の側の御神籤箱から、
棒にあった番号の御神籤を引きます。
御神籤には、始めにお祈りした願い事への神様の思い召しが記されています。

それにしても、台湾の人々の信仰心の篤さには吃驚させられる。
本堂の両脇にある石の透かし彫りの彫刻、ウッカリすると見逃してしまうが、
これは半端なものではない。
本堂の屋根にふんぞり返っている龍の彫物、これも凄い。
天に爪立てている龍の爪は4本だ。
5本は皇帝、4本神様、3本皇族と決まっているのだそうだ。

孔子廟、中正記念堂、を見て、いよいよ故宮だ。
中正記念堂の各門のあの大きな額字はみんな、例のS先生の書いた字だと聞いて、
一同、目付きが変わる。


台北記6

バスが故宮の玄関脇までズカズカと入り込む。
3時間半が与えられた時間だ。



2階からエレヴェーターで4階に行くと言っている。
ガイドに附いて行くか、単独行動するか、一瞬迷う。
よし単独行動ときめて、売店に入る。
小堀さんご紹介の[五千年神遊眼福]を求める為だ。
残念ながら[五千年神遊眼福]は品切れで、CDしかない。
別の案内本を探すのは時間がもったいない、直ぐにガイドの後を追う。

2階のロビーというか、エレヴェーターの前の空間の左右にある、
高さが7、80センチくらいの陶器の前で、ガイドさんの名調子が始まっている。
私は焼き物の知識は全く無く、趣味で収集している小壷の殆どが名無しの権兵衛。
せいぜい、備前、萩、丹波、くらいしか判らない。
模様がある焼き物は、何回聞いても、直ぐ忘れてしまう。
今眼前に有る、龍の壷と、桃の壷は、飾って有る場所が場所だけに、きっと、
名壷なんだろう。
ガイドさんツバを飛ばして、壷の由来を話している。
桃の壷の桃の数は9個、龍の爪は3本、
桃は不老長寿の印、数字の8が喜で、9は最高を示す、龍の爪は、5つが皇帝、
4つが神様、3つは皇族、昔もしもこの数を間違うと打ち首だった。
この龍の壷は皇族の持ち物だと言う事が直ぐ判る。
後で見た帽子に付いている真珠の数、15が皇帝、13が皇太子、11がなんとか、
ミンクの皇帝の普段帽のトサカについてるのは赤、
これを皇帝以外が被ったら皇太子でも打ち首、
これらの数字は、王朝維持の為の、誰にも判る、序列の明確化だったとか。
それでも、清は滅びた。
それだから、清は滅んだ。

有名な、ヒスイでつくられた翠玉白菜、
白い白菜に二匹の緑のキリギリスが食らいついてる。



彫物の見事さは兎も角、この彫物にまとわるいわれが泣かせる。
この時代、あの悪名高い宦官がはびこった、
忠義の士が何度も死を賭して悪政を戒めんとした。
しかし、どんな戒めも宦官の企みで皇帝まで届かなかった。
皇帝が好む玉の彫物にこれを託した。
白菜に食らいつく二匹の宦官、これを見た皇帝ハタときずいて、
この二人の宦官を処刑したのだと。

清の時代の装飾品が面白い、というか凄まじい。

皇帝の中宮の腕輪。
ヒスイ、金、さんご、あと忘れたが、六つか、七つ、有ったように思う。
どれも凄い細工が施して有る。肉眼でやっと見える精緻をこらしている。
このどの腕輪も、みな中空になっていて、其の中に玉(ぎょく)の玉(たま)が入っている。
中宮がこの腕輪をはめて、皇帝の寝室に近づくと、
中空の玉が清音を発して、[中宮のお出まし]と相成るそうだ。
もしかしたら、皇帝と中宮が逆かも。

大きな勲章な様なものがたくさんある、どの一つ一つも彫物細工の
豪華さ、精緻さが目を見張る。
[これが何だか判るか]のガイドの質問に誰も答えられなかった。
想像を絶する。
これがボタンだと、まあいい加減にしてくれと言いたい贅だ。

先ほどはロビーの焼き物だが、今度は焼き物の部屋の焼き物、
ガイドさん、これだけは見ておけ、と、急ぎ足で、
汝窯、何と読むのだろう、宋の名窯だそうだ。





何という美しさだろう。
強羅の美術館で青磁の美しさに唸った事が有るが、
また、格段と違う。
微妙に変わっていく晩秋の空の色、
とでも言い尽くせない、淡い青から少し茶の交じった白までの変化、
熱で自然に刻まれた千々の薄い朱色の焼き皺、
とても、人間の作ったものとは思えない。
ルーズベルトがこの焼き物一つアメリカにくれたら、今の故宮の
6倍の故宮を作ってやると、蒋介石に持ち掛けたそうだ。
慌てず調べた、蒋介石は丁重に断った。
何しろこの汝窯は世界に30個くらいしか残っていないのだ。
その内の20数個がこの故宮にある。

そういえば、唐三彩が余り見えないのは、
代々の皇帝が唐三彩を忌み嫌ったそうだ。
理由は聞き逃した。

ガイドさんの名調子は続く。
このガイドさんの見識の高さには驚かされる。
なにしろ、古今の中国の歴史、文化、政治、経済、教育、要するに
何でも知っている。
それでいて、とても信心深い、午前中の龍山寺で、両手を頭の上に捧げて、
大声で何か祈っていたのが印象的だ。
龍山寺の後ろの方に、旅の神、懺悔の神、競走の神、
とか沢山の神様がいたが、其の中の一つの、受験の神の[霊験あらたか]
さを、身を以って示した。
「私は、ここにお祈りしたら、先生を定年で辞めてからの
ガイド試験一発で受かった。 息子も台湾大学一発で受かった。」
と。

ところで、日本からの添乗員のお嬢さん、目を真っ赤にしている。
今回のツアーは書が主体であり、ツアーのオーナーから書を見る時間が
無くなってしまうとクレームが付いたようだ。
オーナーと現地のガイドとの間に入って搭乗員さん苦悩している。
当のガイドさん、それじゃーあんた達勝手におやんなさいと、
ベンチに座り込んでしまった。
こちとらは、明日か、明後日もう一度チャンスがある。
ならばと、4階の喫茶室で一息入れる。
Bさんの情報あればこそです。


台北記7

4階の喫茶室で中国茶を飲みながら、復元された三希堂をしげしげと見つめる。
乾隆帝がこよなく愛した神技の書[三希帖]のうちの一つ、
王羲之の[快雪時晴帖]は、
博儀が、紫禁城を追われる時に持ちだそうとした荷物の中に隠されていて回収された。
他の二つ、王献士の[中秋帖]、王じゅんの[伯遠帖]は暫く行方不明になっていたが、
香港の収集家から、共産党政府に買い戻され、現在、北京の故宮にある。
三希が離れ離れになってしまっている。

清朝崩壊時のあと、対日戦争時に、再び秘宝に危機が訪れる。
紫禁城を避難した秘宝は、転々と何個所か疎開場所を変えて、結局、
二度と、紫禁城には戻らなかったのだが、何回かの危機を乗り越え、
一点の紛失も損傷もなく台北に落ち着いたのは、奇跡としか言いようが無い。
また、もし,文化大革命に遭遇していたら...
蒋介石の大英断とも言われているが...

早速、その[快雪時晴帖]を眺めに行く。
たったの30文字の旧い手紙の何処にそれだけの価値が有るのか、
鑑識眼の乏しさに悲しみが込み上げて来る。



もっとも、典雅とか、優雅とか、不粋な私には波長が合わない面も有る、
としておこう。
縦から見ても、横から見ても、私の字よりも一寸うまいな..くらいしか判らない。
ピカソも猫にとっては布切れだろう、
もし、何の予備知識も無くて、芭蕉の句を見せられたらどうするだろう。
価値を決めるのは多数決でもないだろうし。
全ての芸術に共通する事だろうが.....
何時の時代にも、評論家さんの存在価値がこのあたりにあるのかな。
右脳、左脳を駆使して、価値を見極めるのだろう。
創ることの才能と、見抜く事の才能も、99歩と100歩の差位はあるだろうし。

Bさんの仰せの様に、[快雪時晴帖]の前で、何組かの団体をやり過ごす。
しかし、どのガイドも、これが有名な[快雪時晴帖]です、王羲之を知ってますか、
中国の昔の有名な書家です....ぐらいで終ってしまう。
例のガイドさんなら、何か面白い話を聞かせてくれたかもしれない。

書を趣味の一つとしている者として、見逃せないのが、毛公鼎がある。
周の後期、BC800年頃のものだが、鼎の内側に500の文字、
現存する古代の青銅器では最も長い銘文が刻まれている。



2800年も前に書かれた文字が、今、我々の眼前に有る。
4000ー5000年前には文字らしきものがあったということだから、
気が遠くなる。
文字の無かった日本の文化が伝承されるのは、
毛公鼎が作られてから1000年余り後の事になる。
我々はこれらの文字を、歴史の重みを感じながら臨書するのだが、
出来栄えは兎も角、しばし、人間を取り戻すのだ。

結局、後の一時間、毛公鼎以外、ただただ、見てまわった、で終ってしまった。


途中、忠烈祠で衛兵の交代を見物して、今夜の宿は、円山大飯店だ。
流石に、世界の五本の指に入るホテルの豪華さに、一同、声が出ない。
T.Hさんや、Tさんのご説明があったように、
宋美齢がオーナーのようだが、ホテルの中には、
期待していた宋美齢の写真とかも無く、宋美齢の匂いもしない。
真っ赤な、太い太い、丸い柱が整然と並んでいるロビーのフッカフッカの絨毯の上を
さも落ち着いた風をして歩いていると、まるで、皇帝にでもなった気分だ。



高い高い、天井から垂れて下がっている中国風のシャンデリア、
広い広い壁に掛かっている書画、
あちこちの何気なく置かれている調度品も装飾品も、豪華この上ない。



私どもの部屋は、多分、円山大飯店の中でも安価な方だろう。

 

それでも、風呂場の中に総ガラスのシャワー室だ。
若い女の子なら、しばらく息を呑んで、そして、歓声が止まらないに違いない。




台北記8

当初、今日からいよいよ、単独行動の予定だったのが半日ずれる。
昨夜の予定だったS先生との会食が、ツアー一行を見送り方々、
中山正飛行場で行われる事に変更された為だ。

朝、昨夜の紹興酒は何処へ消え去ってしまったのだろうと思うくらいの清々しい頭で、
むしろ、いつもより少し早めに起きだした。
円山大飯店の辺りを散歩する。
丘というよりも、小さな山の上に立てられて、あたりを払っているので、
散歩で人里迄行くのには一寸、億劫な距離だ。
大きな門のあたりまで行き、[凄いなア!、凄いなア!]を連発して、
写真を撮りまくる。
Tさんの、お話では、元台湾神社の跡地とか、
日本人も、エライ事をするもんだ。

S先生がお見えになり、しばらく歓談の後、飛行場に向かう。
途中、2軒の御土産屋に立ち寄る。
今回のツアーには、日本の一流旅行社、現地の旅行社、
そして現地の旅行社に雇われた運転手、が関与、
これが[御土産]の重要な原価構成になるようだ。
それぞれに、3%位のマージンが支払われると聞く。
どうも、昨夜の搭乗員さんの涙も、これと無縁ではないようだ。
実は、同行のSさんが、職業柄、台湾の御土産屋さんと直接の取引関係があり、
我々は、例えば、一流メーカーのカラスミ、前回5000位したしたように思う、
が2500円で、皆購入済み。
それでも、人間の弱さなんだろうか、ついつい何かと手が出てしまう。
人間の欲望の順位、マルローだったかな、も、人とか、年齢とかで、
大分違うのではないのかな。
家に戻った今、まだ、開封もしてない物があるというのは、情けない。

飛行場で、S先生お心尽くしの会食。
タップリ時間を取って、一行、カウンターの奥に消える。

ガイドさん、寄り道するからと、別のバスへ。
S先生に、今夜の宿を告げると、先生にそこまで案内して戴ける、
ということに相成った。
台北駅までのバスの中、S先生、目下個展中のお疲れ中なのに、
私の質問に、いろんなお話をしていただいた。
書の専門的なお話は省略するが、
まず、
最近の私の書の芳しくない出来具合を、書の道具のせいにして、
何処か良い、硯、墨、紙、筆、のお店のご紹介をと、お願いしたら、

「硯はともかく、墨、紙、筆は、紹介できるようなものは台湾に無い。
台湾、中国は数々の混乱で、伝統が途絶えた、
従って、台湾、中国には、老舗というものが無い。
墨、紙、筆は、むしろ日本に伝統が息づいている。
日本には素晴らしい老舗が存続している。」
と時々、走り去る台湾の山河に澄んだ目を凝らしての、
淡々としたお話だった。
成る程と思うと同時に、逆輸入とはこうゆうことかと、変な納得だ。
恐る恐る、明日、先生の書のご指導風景を見学したい旨をお願いしたら、
「どうぞどうぞ」とのこと。

台北駅で、飛行場行きのバス乗り場はともかく、
駅の近所のホテル迄案内して頂いてしまった。
先生のお宅の地図も、事細かに承った。

さあ!
いよいよ一人になる。
カウンターで日本語7分どうりの女性の応対、NT$2400とNT$1350の、
NT$1350の部屋をお願いする。
日本円の相場は大体、4.2倍すればよい。
悪友から知恵を付けられた機内誌の切り取りを提示すると、更に30%引き、
多分、円山大飯店の1/4か1/5だろう。
チェックインを済ますと、もう、4時過ぎだ。
兎も角、表に出る。


台北記9

歴史博物館だけでも今日中にやっつけておきたい。
台北駅前で、バス路線案内図を手に入れたが、
歴史博物館は何というバス停で降りたらよいのか、意外に、ややこしい。
歴史博物館というバス停があるが、植物園前とか国語実小学校前でも良いらしい。
バスNOは、1,204,259,268などだ。
今度は、どの番号のバスは何処で乗るのか、
それぞれのバス路線図を調べなければならない。
バス停は、棒の先の四角い板にバスNOが書いてある、
例の立て札のような奴が、100ー200メートル位の間に、
ズラリと立ち並んで居る。
立て札にはそれぞれ3、4個のバスNOが書いてある。
その立て札の一つ一つから乗りたいバスの番号を探し出さねばならない。
次から次ぎに、夥しい数のバスが連なって来る。
台北駅だけでも100種類くらいは有りそうだ。
しかも、現在地下鉄工事の真っ最中で、あちこち掘り起こされていて、
現地の人達も、自分の乗るバスを探しあぐねているような状況だ。
現に、私に、バスの乗り場?を聞いた奴が居る。

更に、重要な事に気が付いた。
例えば、渋谷から東京駅経由の浅草行きのバス路線があるとする、
いま、東京から青山に行きたいとする、当然、渋谷方面に向かって乗る。
立て札には、ご親切にも、路線全部の停留所名は書いてあるが、
どっち向きとは書いてない。
右に行くなら、こっち側、左に行くなら、広い道を挟んだ向こう側、
ともかくややっこしい。
ってなことをやってる間に、時間ばかりが、ドンドン過ぎてゆく。
今日のところは、歴史博物館、諦める。

それならとばかりに、目の前に来たバスに乗り込む。
知らない街で、良くやる手だ。
街の外れまで行って、また、同じバスで戻って来る、とゆうわけだ。
料金は、一律9元と聞いていたので、10元硬貨を掴み、
料金を払おうとしたら、運ちゃんが、コッチコッチと言うように、別の箱をペタペタと叩く。
始めに入れようとしたのは、カード機だった。
右の一番前の席が定席、早速、次々止る停留所の現物と、路線案内図、
旅行案内書を首っ引きで、バスの行く先を確かめる。
真っ直ぐ、北へ向かっているらしい。
辺りは、とっぷり暗くなっている。
大きな橋を渡ると、だんだん、街灯の数も少なくなって来る。
終点は、持っている地図をはみ出している。
少し賑やかな通りで下りて、反対側の停留所で、同じ番号のバスを待つ。
結構の数のバスはやって来るが、同じ番号のバスは中々来ない。
物凄い勢いで走って来るバスに、客が次々に乗り込んでゆく。
ひたすら、立ち尽くしている私に、
停留所のまえの商店のオヤジが怪訝な視線を射る。
多分、違う番号のバスでも、台北駅まで行けるのだろうが、
あっ、来たなと番号を見て、
其の番号の行き先を調べているうちにバスは走り出してしまう。

ともかく、無事に、台北駅まで戻った。
駅前は、人でごった返している。
つい、振り返ってしまうような美人が多い。
1分間に何回振り返るかわからない。
とにかく、スタイルがいい。
頭から爪先までのファッション、服装、持ち物も、
新宿あたりで見かけるのと、まるで変わらない。

駅前の、新光三越ビルが人の流れの中心になってるようだ。
エスカレーターで、チラリと上に上がってみる。
売ってるものも、新宿三越と似たり寄ったり、イタリヤ製のバッグ、
風月堂のお菓子.....一寸、違うのが、カラスミ、茶器、など。
繁華街を歩く。
新宿と銀座と浅草をゴッチャにしたような街並みは、
ゴチャゴチャしているようで、意外に碁盤の目のように整然としてる。

人並みに付いていると、小奇麗な小さなビルに入り込んだ。
エレベーターの前に18、9から25、6才の女の子の行列が出来ている。
数えてみたら、20人、男性が1人。
壁一面に貼られているポスターの様なものは、音楽会、講演会、の案内らしい。
1階はプレイガイド、階上は、語学、料理、パソコンなどの専門学校だ。


台北記10
さて、夕飯どうしようか、で、思い出したのが、
Bさん情報の三越の地下食堂街、
アメリカや日本のショッピングセンターによくあるスタイルで
真ん中に共通の客席、広場があって、周りに色々な店が並んでいる。
台湾料理に紹興酒でも、のつもりが、ついつい、熱燗で寿司になってしまう。
カウンターに坐ると、結構、種が並んでいる。
手始めに、[まぐろ!]から始める事にした、が、なんてこった、
まぐろの寿司がデンとお皿で一人前出てきてしまった。
頭に来たから、種だけ食べて店を出る。
それでも、板前さんに気の毒だから、
「私は、胃袋が無いもんで..」
など渋々言い訳などをして。

ほろ酔いで歩いていると、さっきよりも振り返る頻度が増えている。
雑踏の中で、若さというものを考える。
あれは何だったんだろう。
昔の様にギラギラした目付きで追いかけては行かない。
行き合う女性の期待に膨らむ視線が、何万分の1秒の単位で
失望の視線をとどめ、また、通行人の一人一人に戻ってゆく。

昔、映画を作りたいと思った。
友人の何人かは映画に世界に入り込んだ。
彼らの75%は、現在行方不明だ。
話が外れた。

宿に入る。
5階のエレベーターの前のカウンターでおばちゃんが笑って出迎えてくれた。
風呂のお湯をを出しながら、明日の計画を立てる。
省立博物館か歴史博物館、Tさんご紹介の台湾大学、
これもちょいと覗いてみたい、s先生宅の書道教授風景は必須、
午後は、故宮、そしてBさん、ご紹介の、蒋介石、宋美齢の士林官邸、
そして、士林の夜店をブラつこう。
Yさん、ご紹介の本屋街ブラツキも何処かに組み込もう。

電話が掛かる、
カウンターのおばちゃんらしい、
[若い子のアンマどうですか? トテモ ウマイヨ]
按摩好きの私
「OK,頼むよ、で、幾ら?」
「ヨンマンエンでいいよ」
「え!四千円?」
「チュガウヨ、四万円よ」
「グッー、クワバラクワバラ」

明日の計画を頭でなぞる。
昨日、バスの乗り方覚えたのでバスには自信は有るが、
一寸、計画に無理がありそうだ。
特に、S先生宅、先生の書かれた地図を、あらためて見ると、極めて、右脳的だ。
ここでバスを下りたら、この方向へ真っ直ぐの矢印・・・

また、電話だ。
[アンタ、トキュベツ、ニンッマンエンでいいよ]

明日の計画がキッチリ定まった。
風呂に入って、ビールを飲み直す。
念の為にと思って、フロントに電話する。
[本当の按摩、頼める?]
日本の温泉街と、値段も、揉み方も、まあまあ似たような按配の按摩さんだった。
念のためだが、中年の男性で、時間は30分。


台北記11
9時一寸前、省立博物館はまだ開いてないようだ。
左右の庭園、いや、博物館が公園の中にあるのだろう。
その庭園では、沢山の人が、踊っている。
良く見ると、一塊は太極拳、別のグループは社交ダンス、
エアロビクスみたいので跳ね回ってるグループもある。
博物館の玄関前は舗装されており、一寸した広場になっている。
何人かの人が、新聞広げたり、朝食広げたりしている。
一人の初老の男が、無心に、紙飛行機を飛ばしては拾い、また、
飛ばしては拾いしている。 一寸、知的障害者風だ。
それにしても、台湾にも紙飛行機が....
時計を見ると、9時を廻っている。
入れ口は閉ざされたままだ。おかしいなと思い、
近づくと、ビラが張って有る。
どうも、休館らしい。
側にいた男に、身振り手振りで確認すると、
「いま、博物館は改造工事で休館中です」
見事な日本語が返ってきた。
ヤバイ! 俺としたことが!貴重な時間を潰してしまった。
さて、急遽、計画変更だ。
と、男が話し掛けてきた。
「あなた日本から来られましたか?」
気が付くと、さっきから、飛行機を飛ばしている男だ。
片目が無い。
ギラギラ光る片目で見据えられると、一寸、たじろぐ。
「私は、定年退職して、今、年金生活です。
子供の時、日本人の先生に連れられて、この博物館に来ました。
懐かしくて、毎朝、ここに来て、教えてもらった紙飛行機を作って飛ばすんです。」
ピクリと好奇心に誘われたが、早く、次の行動を起こさないと、
「すいません。急いでますので。」
と、戻り掛けると、
「もう一寸だけ聞いてた下さい。あなた、何県の方ですか?」
「静岡県です」
突如、男は歌い出した。
戦前の一都二府四十三県(これは戦後かな?)を歌い込んだ、
あの数え歌のようなの、薄ら薄ら記憶がある。
続けて、茨城県、高知県を歌い出した。
斜めにお辞儀をしながら、草々に辞したが......
何とも心残りだ。

博物館前停留所は、例によって、止めど無くバスが通る。
自分の乗りたいバスが来たら、身を乗り出して手を上げないと
すーっと通り過ぎてしまう。
たまたま、目の前の停留所の立て札に、台湾大学の文字が見えた。
その番号のバスに乗り込む。
座席は満員で、2、3人の人が立っている。
さてと、バス路線図と案内書を見比べながら、台湾大学から、
S先生宅への行き方を、調べる。 バスの揺れ方が酷い。
と、目の前の座席の中学低学年位の、自由学園のに似た制服の女の子が、
はにかんだ笑顔を少し斜めにして、私の顔を見て、
小さな声で何か言いながら、立ち上がった。
どうも、私に坐れというらしい。
私が、手を横に振ると、女生徒は席を離れ、運転手の後ろの棒につかまった。
生まれて初めての経験を台湾でするとは.....

バスがだんだん混んできた。
殆どが学生のようだ、 女が多い。
台湾大学で、殆どの客が降りる。
みな、目の前の校門の中に吸い込まれてゆく。
学生時代の数々の悪事や不勉強が照れくさくて、私は殆ど母校へも顔を出してない。
久しぶりの学園風景だ。



それにしても、女学生が多い、 ざっと、70%は女だろう。
皆、胸を張っている。
これからの台湾の更なる変貌を予言しているようだ。

構内の道の両側にはズーット彼方まで、ところ狭しと自転車が並んでいる。
道いっぱいの学生たちは、三々五々途中の校舎に消えてゆく。
自転車が無くなると、今度は両側は車の列だ。
10分も歩いて、直角に右に曲がり更に右に曲がると、
構内のメイン道路のようだが、人通りは疎らだ。
高い高い椰子の並木を涼風が通り抜ける。
さっきは、学生たちと同じ方向に歩いたが、今度は、学生たちと行き交う事になる。
男の子も女の子も、黒い瞳を輝かし、一人一人、素朴で純真そうだ。
女子学生の服装も容貌も清らかで、
日本の学園でよく見受けられるあの下卑た華やかさはない。
かといって、垢抜けもしている。
体型も、プラスしてるかも。

ジーンズを見事に着こなし、肩まで届く艶の有る長髪を風に靡かせ、
切れの良い大股で通り過ぎる子、
ヴァイオリンを小脇に抱えて、伏し目がちに、小走りに走り去る子、
写真を撮っていると、誠実そうな子が通りかかった。
手まねで、頼むと、はにかみながら写真を撮らせてくれた。



真っ白な歯を見せ、行き去った。

バス通りに戻る。
歩道はスクーターでいっぱいだが、歩道の中央が丁度スクーターが走れる
空間が有り、そこを学生たちが、勢いよくスクーターで走って来る。



これも女子学生が多く、両足をいっぱいに広げ、
勇敢に走って来る姿はいかにも屈託がない。

台北駅行きのバスを途中で降りて、S先生宅方面行きのバスに乗り換える。


台北記12

Tさんのご推奨の意図とは大分ずれたようだが、
台湾の一断面を深く覗く事が出来た快感が残る。
それにしても、美人が多かった。
勿論、じゃが芋を重ねたような子も、標準的な子も交じってるのだが。

今度のバスは今までのとちょっと異なる。
大通りの中央に分離帯があって、其の両側にバス専用道路が有る。
道の中央に立派な屋根付きの停留所がデンと構えている。
昔の都電を思い起こせばよい。そこを電車の代わりにバスが走っている。
この路線だけ特別のようだ。

先生のご指示の駅で下りる。
渋谷のちょっと横丁に入ったような繁華街だ。
名詞の裏側に掛かれた矢印に従って歩く。
この辺と、見当つけて、道を掃除していた若い男に道を尋ねる。
首を捻っていたが、次の次の角?と手真似で教えてくれる。
角から右に入って二軒目のマンションの二階の筈、
角の惣菜屋の女性に住所を示すと、
頬にてを当てて考え出した、其処へ、スクーターの若い女性がやって来て、
一緒に住所を覗き込む。
やがて、示したのは、さっき若い男に尋ねたあたりだ。
礼を言って、またもと来た方へ引き返す。
暑さが込み上げて来る。
コンビニでスポーツ飲料を一息に飲み干す。

ヤレヤレ、どうしたものか、
突然、スクーターが勢いよく走ってきて目の前に急停車した。
さっきの若い女性だ。
後ろに乗れと言う。
オッカナビックリ荷台に跨る。
何十年にもないことで、不安定この上ない。
遠慮しがちに肩のあたりにつかまると、動き出した。
さっきの惣菜屋の角を曲がると、彼女は、右手で指差しながら、
一軒一軒の番地を読みはじめた。
S先生宅の前で私を下ろした彼女は、
郵便受けのようなところの
ボタンのようなものをチョンと押す、と門が開いた。
大きく手を振って彼女は街の中に消えて行った。



二階に二つ扉があるが、何の表札も無い。
あれだけの先生なのだから、立派な看板でもある筈と思いながら迷っていると、
30代の女性が階段を上がってきた。
住所を書いた紙を示すと、
「ここです」
と日本語で言って、扉を開いた。

全身に笑みを浮かべたS先生に歓迎戴く。
20畳位の部屋に、
30、40代の主婦4、5人、を中心に老若男女、10人位が、
一心不乱に書いてる人、先生に添削していただいてる人、
墨をすってる人、壁に掛かってる先生の作品をジーと見詰めてる人、様々だ。
お稽古風景をしばらく見学する。
著名な先生の直接指導にしては、和気藹々としている。
一人一人と言葉を交わしながら、一字一字、丁寧に朱を入れる。





なんとも羨ましい限りだ。
私に流暢な日本語で話し掛けて来る女性が居るし、先生が平仮名で
「よろしい」
と朱を入れているのも不思議でならなかった、何のことはない、
後で聞いた話、先生のお弟子さん、日本の商社マンの奥さんが多いのだ。


台北記13

バス停から故宮の入口まで長い石段、
その石段で、京劇の女優と見える美しく着飾った女性たちがポーズを取っている。



何かの撮影のようだ。
其の脇を、女子大生の一団が豊かなお尻の線をくねらせて登ってゆく。

二回目の故宮は味気なかった。
一つ一つゆっくり見ようとしても、どうも落着かない。
携帯電話みたいなインファーム ユニットというのを、日本円で約500円で借り出す。
展示物のNOをプッシュすると、解説や背景の紹介が聞く事が出来る。
唐代の書画、宋代の書画、さらに、元、明、清と大雑把に括られて解説される。



有名な秘宝には番号が付いていて、
その解説も聞く事が出来る。
しかし、いずれも教科書的な解説であり、例のガイドさんの解説に遠く及ばない。
どうも、面白く、意義深く観る為には、
事前に或る程度の知識を詰め込んでおくことが不可欠のようだ。

それでも、書のところを舐めるように見てまわる。
書を志す者なら一度は耳にし目にする顔真卿、蘇東坡の名品が並んでいる。
祭姪文稿、



と寒食詩巻。



私よりも、もっと熱心なのは女子大生達、
一つ一つの書画の前で、じーっと、動かない。
突然後ずさりしたかと思うと、今度はガラスにおでこをくっ付ける。
これが、閉館時間が近づき、辺りに人影が絶えるまで続く。
何か頻りにメモを取ってる子もいる。
多分、美術関係の学生だろう。
彼女たちの目つきは、日本では余りお目にかからない。


慌ただしい故宮見物では仲々気付かないであろう庭園が故宮の敷地内に有る。







中国の伝統的な様式をふんだんに取り入れた古式豊かな、風流なもので、
黄庭堅の松風閣詩にちなんだ松風閣、王羲之ゆかりの蘭亭、などを配した池のほとりに佇むと、
中国の古き良き時代に舞い戻ったような、錯覚すら覚えたものだ。
大白鳥ほどの大きさで、真っ黒な水鳥の番が、故宮や、裏の緑の山々を背景に、
悠然と辺りを払っている泳いでいる様は、中国ならはである。


例によって、不明確のまま、乗車したバスで、
ここいら辺だろうと見当を付けて、下りたのが、やはり志林のちかくだ。
構わずウロウロしていると、人並みと、生臭い匂いと、
売人の掛け声でごった返している市場へ入り込んだ。
異様な雰囲気に背筋が寒くなる。
まだ、日暮れに間があるのに、薄暗い路地に、
灰色の露店が軒を連ねている。
縄で括られ地べたに放り出されている生きた鶏。
金網の中でとぐろを巻いている蛇。
今、殺されたばかりのような豚が、殆ど原形のまんまぶら下がっている。
野菜、果物、まめ、魚、貝、肉、玉子、香辛料、これらが、また、
こんなに種類が有ったのかと思われる程、種々雑多に売られている。
豆だけでもどの位の種類があるだろう。
買い物客は、みんな土地の人々のようだし、みんな普通の顔をしている。
このあたりの胃袋なんだろう。
2、3日前の華西街とは、全く趣が違う。
旅行者は殆どいない。

通りに戻ると、ガラリと変わる。
日本でもおなじみの、レストラン、ファーストフードの店が並ぶ。
並ぶというと、大袈裟かも判らない。
其の中の一軒、台湾名のレストランの二階に昇り、通りを見渡せる席に腰を下ろす。
客は少なく、子供連れが2、3組いる程度だ。
どうも、軽喫茶のようだ。
ビールと何か軽いもの、を注文、ところが通じない。
奥から別のボーイが出て来た。 どういう訳だか、女の子が二人ついて来る。
[ナニヲサイアゲマスカ]
たどたどしい日本語、付いてきた二人の女の子が、
広げられたメニューと彼と私を交互に覗き込んで、
私とそのボーイが言葉を交わすたびに、嬌声を上げる。
私も、始め何のことか狐につままれたみたいだったが、わかった。
そのボーイは目下、日本語勉強中らしい、
その成果が如何なものかと女の子たちが立合った様だ。
驚いたことに、出てきたビールは氷入れだった。
窓から通りを眺める。
斜め下に、歩道の上にデンと構えている畳一畳程の屋台の全貌が見える。
車道を背に、中年の夫婦が仲睦まじしく頻りに調理している。
リズミカルに動く二人の体と、四本の腕、
あたかもダンスをしているように、呼吸がぴったりだ。
湯気が迸ってる大きな鍋が二つ、料理が山と盛られた大皿が三つと、
中くらいの鍋が二つ、あと、箸立て、調味料が処せましと並んでいる。
鍋、釜、ボンベは車道まではみだしている。
客は、垢抜けたスタイルの若いアベックと編み笠を被ったおばさん。
若い二人は長い足を歩道に投げ出しているが、
おばさんは両足をキチンと揃えチョコンと坐っている。

地図を広げると、さっきの市場は華栄街とあった。
更に調べると、志林夜市は近い。

志林夜市の方角に歩き出す。
歩くと結構距離が有る、丁度バス停の処で、来合わせたバスに乗る。
一駅でおりる。
志林夜市は華西街とも華栄街とも異なる。
若者の街だ。
やたら、アベックが多い。
ジーンズショップ、若者向きのファションの店が建ち並び、
迷路のような路地の隅々まで若者が溢れている。

Bさんご紹介の志林官邸は行きそびれてしまった。
台北駅に戻ると9時を廻っている。駅の二階の食堂街を覗く。
殆ど客が居ない、みんな三越の地下街に客を取られてるのかなと思いながら、
その三越の地下街へ行くと、こちらも、昨夜程の人波はない。
それでも、何か挑戦してみようと、声をかけると駄目だと手を振る。
辺りの店が掃除を始め出した。
駅の食堂街も三越の地下街も9時半迄なのだ。
外は人、人でゴッタがえしているのに......


台北記14

台湾最後の夜食はラーメン、
店の名は十五番? だか、三十番? だか、
日本の出店であろうが、味は若干台湾風、まあまあだ。
何時の間にか、ラーメンが一番の好物になってしまっている。
ラーメンなら、一日一回なら365日食べる事が出来るだろう。
悲しいことだ。
食の楽しみに耽れないと、旅の醍醐味は半減する。
胃は取っても元の戻るという、俗説があるが、どうなんだろう?
私の場合は、もう十年も経つのに、いまだに半人前しか食べられない。
もっとも、食の種類で量も変わるのだが。
元々好きだった肉は、猫の食べる量も食べると、七転八倒してしまう。
不思議とラーメン、蕎麦は一人前たべても大丈夫、ただ、具は食べられない。
だから、ラーメンは麺だけ、蕎麦はもっぱら盛蕎麦、と決めている。
普段は、めじまぐろの刺身、あじの干物、納豆と白米が常食。
さて、これから世界中を歩こうとしているのだが、
寿司屋とラーメン屋のある処は限られてしまう。
酒も、日本酒か紹興酒、それも熱燗が好物では、先が真っ暗だ。

夜中に、また、例の電話だ。
明日は、午後2時20分の飛行機だから、午前中は使える。
歴史博物館とYさんご紹介の本屋街を覗くとしよう、それまでかな。


昨夜、紹興酒を控えたせいか、すこぶる快調、
荷造りを済ませて、バスに乗る。
当然、一番前の右の席。
もう、手慣れたものだ、今度、誰かをバスで台北案内しよう、
ぐらいの気になってしまう。
今日のバスの運チャン、今迄と違って随分若い、22歳位か。
若いオネエチャンが乗るたびに大変だ。 勿論、下りる時もだが。
仲々の男前で、意味は分からないが、気風の良い話し振りで話し掛けている。
運転席の前に、幾つか仏像がぶら下がっている。
天井には仏像の絵が貼ってある。
今迄、何回かバスに乗ったが、どのバスも微妙にニュアンスが違う。
はたと、気が付いた、BGMが違う。
多分、台北のバスのBGMは、運ちゃんの自由裁量に任されているのだろう。
今日のBGMはユーミン風だ。
昨日までは、ひばり風、裕次郎風、そして、北島三郎風、聖子風、
バスに乗る度に、台北で流行っている唄が聞けるしくみだ。
それぞれの好みがあって、面白い。

赤信号、突然、5、6年生位の男の子が二人、駆け足で歩道を横切る。
歩道を渡り切ると、振り返って、手を引っ張ると、道を挟んで、歩道一杯に、
三角の黄色い布を垂らした紐が車道をシャットアウトする。
ちいちゃな小学生が、ゾロゾロその紐に添って歩道を渡る。
みんな渡りきると一番最後から、反対側の高学年生が紐の後端を持って歩道を駆け渡る。 
で、信号が青になる。

案内書通りのバス停で降りる。
バス待ちの若奥さんに道を尋ねると、親切に、英語で教えてくれた。
歴史博物館の受け付けで、切符を買おうとしたら、
開館は10時、1時間も待たねばならない。
歴史博物館、日本の中都市の美術館くらいの規模だろうか、
前面に、中国の公共の建物にしては小さな庭が有り、立派な石を
配置した池が有る。そのほとりのベンチでぼんやりする時間が持てた。

まず目を見張るのは、階上から見る博物館の裏側に
広がる池一杯の蓮の庭園の見事さだ。

 



表からでは気が付かなかったが、隣接する植物園の一部のようだ。
この博物館では、特展と称して、博物館所有品を順次、
的を絞って集中的に展示している。
唐三彩は素人目にも故宮よりも絶品が揃っている。
それと、青銅器、青銅器そのものの詳細、部分部分の呼称、
更に、
時代別に商、周、戦国、春秋、漢、それぞれの
特徴を詳細に展示、説明している。
青銅器に興味のある者にとっては堪らないであろう。

その他、多分、近代の台湾での著名な作家の作品だろうが、
近代感覚の水墨画展、水墨で書いたモンドリアンってところか、
それと、明の時代の扇展、貴族の奥方やお嬢さんが愛用したのであろう、
流麗な書と絵の入った艶やかな扇、これらが同時開催だ。
写真をとっている人につられて、私も、シャッターを押したら、
その写真を撮っていた人に注意されてしまった。
ここの館員らしい。


帰りがけに、バス停を一つ先に下りて、本屋街を少し歩く。
一軒の店に入って、初心者向けの書道の教科書を買う。
日本では考えられないような、値段の安さと、内容の充実さだ。

かくして、たった二日ではあったが、バスと安宿の一人旅は終った。
何回も触れたが、事前にどれだけ予備知識を詰め込むかが、旅の質を決める。
一方で、生半可な予備知識は、先入観となって、
未知への遭遇の感激を半減させてしまう。
予備知識の内容が問題なのであろう。

メロウフォーラムに入会して、まだ右も左も判らない時、
思い切って発言した
「台北のこと教えて下さい」
に予想以上の数の情報が寄せられ、今回の旅に深みと幅を加えた事は、
パソコン通信という新しいメデイアの画期的な恩恵の賜物だ。
85歳で亡くなった父が、毎年毎年、世界中に出掛けて行って、
残した行李一杯の写真とノートは実家の片隅に、
誰にも省みられることなくガラクタに化している。
それにひきかえ、こうして、私は、
拙稚極まりない独断と偏見に満ち満ちた紀行文をHPに公開できる。
有り難い世の中になったものだ。