書の歴史5/隷書(1)

始皇帝稜の頂上から辺りを見廻した事がある。
1998年のことだ。



東西350m、南北345m、高さ76mのこの帝墓の地下には、
金銀を散りばめた広大な地下宮殿が眠っていると言われる。
水銀が流され、弓矢の仕掛けが施されているといわれる宮殿、
全貌が明らかにされるのは何時の時代だろうか。
それ程に大規模で貴重な文化遺産なのだ。

始皇帝陵の東1.5km程のところに、
陵を守るかのごとく整然と戦闘隊形を組んだ陶製の軍団が発掘された。
これが兵馬俑だ。
確認しただけでも8000体の兵士像が埋もれてるそうだ。



天下統一を達成し絶大な権力を手中にした始皇帝は、
更に磐石な国家基盤を構築すべく諸政策を打ち出した。
その一環が文字の統一である。
諸国に分散しつつあった篆書を統一し小篆を正書体としたのだ。
しかし、
篆書は直線が多く速記性に欠け実用には不向きな書体であり、
筆写に便利な曲線を多く用いる新しい書体が急激に普及し始めるのである。

性急な諸政策、宦官の横行等で斯くも強大な秦朝は急速に弱体化し、
項羽が立ち、項羽を打ち負かした劉邦が漢朝を成立させる。

漢代の前後から、
篆書に変わり隷書が、
正書体として一般に広く通用するようになってきた。
隷書の「隷」とは下級役人の意とされる。
王やその一族などに限って扱われてきた書が、
下層に行き渡ってきたのであろう。

当然ながら、
篆書から隷書へ一気に移った訳ではない。
戦国時代から、既に、
木簡や竹簡などに日常的に用いた筆写体に隷書風な筆致が見られるのだ。

楚侯乙墓竹簡
(戦国前期)
包山楚墓竹簡
(戦国中期)
楚帛書.

楚侯乙墓竹簡臨書 包山楚墓竹簡臨書 楚帛書臨書


睡虎地秦簡。
秦代の竹簡「睡虎地秦簡」の文字は若干の篆意の残るものの、
明らかに隷書体であり、
小篆が正書体であった秦代に於いても、
行政文書などの実用書には隷書体が用いられていたことが判る。

睡虎地秦簡(雲夢秦簡とも言われる)

睡虎地秦簡臨書


帛書.・戦国縦横家書。
2000年前の女性の屍体の発見で世の震撼せしめた「馬王堆」からは、
多くの副葬品が発掘されたが、
文字の歴史上、極めて貴重なのが帛書と竹簡である。
後年、紙が発明されるまで、
文書や書簡は、
絹に文字を書く帛書や、竹や木を削った札に書く竹簡、木簡が普通であった

帛書.・戦国縦横家書
帛書.・戦国縦横家書臨書


魯孝王刻石。
篆から隷への過渡期にある書であり、
まだ、波磔は見られない。
「年」字の脚の長さに篆書の面影を残す。
古隷の代表する碑と称される。

魯孝王刻石(BC56)

魯孝王刻石臨書

莱子侯刻石。
古隷から八分に移行する過渡期のものだが、
素朴な力強い筆勢の中に奥深い雅かな味合いを見る。
この時期の書の中で、私が一番好きな刻石である。
この時期の篆書と隷書の中間的な書体を「古隷」とも「草篆」とも呼ぶ。

莱子侯刻石(AD16)


莱子侯刻石臨書


開通褒斜道刻。
劉邦も孔明も関羽、張飛も通ったであろう石門崖壁に刻されていた摩崖書。
これも古隷から八分に移行する過渡期のものだが、
波磔は見られない。
素朴で自由闊達、現代画に通じる調和を感じる。

開通褒斜道刻(AD66)

開通褒斜道刻臨書

褒斜道は長安から蜀へ抜ける険しい街道の一つで、
古来より数々の歴史の舞台に登場する。
断崖絶壁の岩に穴をあけ桁を差し込みその上に板を渡して道を造った。
これを桟道と言う、桟道とはこんなイメージだ。



前漢時代に入ると、
実用的な木簡や竹簡に於いては多彩な書風が横行して、
ほぼ同時代の石刻や金文の書風とは全く異なった様式を見せ始める。

元庚四年簡(BC62) 天鳳元年簡(AD9))

元庚四年簡臨書 天鳳元年簡臨書


かくして、刻石において隷書の全盛期を迎える一足前に、
実用書においては隷書の時代に突入したのだ。
自由奔放な表現の中に、
長く伸ばした縦画の収筆や長い横画の波磔などの装飾的な意図が見られる。
美意識の強い誰かの悪戯心から来る一寸した工夫が、
巷の評判になり流行を誘ったのではないだろうか。

隷書に様々な書風が誕生する一方で、
隷書の誕生と殆ど時を開けず書の分野において大きな変革が生じる。
実用書の分野では隷書から草書、楷書、行書の創造、
草行書の筆意の出現である。
日常の実用文字をもっと速く書きたいという速度への要求からだったのであろう。

元和四年簡(AD87) 永元器物簿編簡(AD93-98)

元和四年簡臨書 永元器物簿編簡臨書


殷の妲己、周の褒?(ほうじ)、呉の西施と傾国の美女を紹介したが、
漢の初代王の劉邦の正室・呂雉は、
唐代則天武后清代西太后並んで中国の三大悪女と言われる。
地方の小役人の普通のお嬢さんだった呂雉は、
内助の功を発揮して夫・劉邦の建国に尽力したのだが、
劉邦の没後、我が子恵帝の皇太后として専横を極める。
恵帝の有力なライバルを次々に殺害し、
劉邦の側室の戚氏の両手両足を切り落とし目玉をくりぬき声をつぶし、
便所に入れ人豚と呼ばせたと言う。




引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

つづく
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