書の歴史1/符号の時代

まず、文字だが、
文字がどの様に出来たのか、よく解明されていない。
中国の伝説によると、
中国太古の皇帝である黄帝の下で記録を司っていた倉頡が、
鳥や獣の足跡を模して作ったとされている。
倉頡には四つの目が有ったと言う。



神話伝説上、それ程に観察眼に秀でていたと言いたかったのであろう。
最近の北京の蒼頡廟の倉頡像は二つ目の神様になっているらしい。
先年訪れた中国南部の客家の里に倉頡を祀った社があったのが印象強く残っている。
日本で言う片田舎のさもない鎮守様の様なところだった。
それだけ倉頡は人口に膾炙している。
しかし、黄帝も、倉頡も神話の世界の話、
漢字は単一の人物によって創造されたものではない、が定説だ。
それは兎も角、人間は文字を造り書を芸術に極めた。
飛び飛びではあるが、その過程を探ってみたい。


1950年、西安の東方6KMの半坡遺跡から発見された多数の彩陶の陶片(彩陶)に、
文字とおぼしき記号、符号の様なものが刻まれていた。
紀元前4000年、6000年余り前の遺跡だ。
発見された記号は全部で112点、これを分類すると22種類に分けられた。
それらの記号は、陶器のほぼ同じ部分に刻まれたり書かれたりしている。
同じ記号が刻まれた陶器は極めて近い近辺から発見されて居ることは、
これらの記号は装飾ではなく、
なんらかの情報、意思伝達を表わすものであったと推察される。
即ち、初期段階の文字のではないか、と。



ほぼ近い年代の遺跡と思われる大(サンズイに文)口遺跡から、
表面に、
半坡遺跡の記号よりもより絵画的な模様の施された大型の陶器が発見された。
この模様は山から太陽が昇る、とされているが、
この付近から発見された三つの陶器に同じ模様が認められたことから、
何か所属を示す紋章の如き物ではないかと推察されている。



その他、少し時代が下がって殷代中期の台西遺跡、呉城遺跡からも、
やはり、陶器の破片に刻まれた線の構成が発見された。
これらはやや字形に近いが未だ文字とは結論付けられていない。



半坡遺跡、大(サンズイに文)口遺跡での記号、符号、紋章もどき物と、
後の甲骨文字との間には文字としての発展を繋ぐには余りに大きな空白がある。
現在発見されている甲骨文は紀元前14世紀から12世紀頃の物であるが、
其処に書かれている甲骨文字は既に文字としての意味形を整えており、
現代の字体までの経過を辿ることが出来る、文法も現代の漢語に近い。
1000年、2000年の間に文字としての著しい進化があったのであろう。
その間の空白を埋めるには今後の発見、研究に委ねられる。



引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選

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