書の歴史12/中唐の書

高宗(628-684)。
太宗の第九子であるが太宗の寵愛を受け、
序列を超えて王位に付いた。
国家の膨張、外征の負担、豪奢な生活等による財政の圧迫や、
農民の窮乏、外戚の権力争いなどで、
太宗の貞観の治により打つ立てられたさしもの唐王朝も揺らぎ始め、
悶々の内に崩じる。
太宗の影響を受けた高宗は書を愛し、
太宗譲りの非凡さを示す書を残している。


萬年宮銘(654)
一時、九成宮を萬年宮と改められた時期が有った。
流れるような筆勢で淀みない。
臨書してみて、
字と字の空間を繋ぐ流れが心地よい。

高宗・萬年宮銘




李勣碑(677)
高句麗平定などに功績のあった李勣の為に高宗自ら文を撰し書した。
この書にも太宗の書風が随所に見られる。

高宗・李勣碑


則天武后(623-705)
言うまでもなく中国屈指の女傑である。
高宗と合葬されている墓の規模の壮大さに度肝を抜かれる。



当初、太宗の後宮だったが太宗の崩御と共に仏門に入るが、
高宗にこわれて再び後宮に入り、
諸策略を以って当時の皇后を陥れ自らが皇后となる。
この皇后の陥れ方が残虐極まる。
皇后が、高宗との間に出来た娘を見舞った時に、
則天武后が自らの手で娘を殺し、
それを皇后の仕業としたのだ。

次第に、凡庸な高宗に代わり権力を握り、
高宗の死後、形式的に実子の中宗、睿宗を立てたが、
実質的な権力を欲しい侭にし密告政治により反対派を弾圧し、
遂には自らを皇帝と号した。



近年、伝えられた彼女の悪業は後の権力者による捏造であり、
人材の登用,仏教の保護など変革者としての非凡な政治的手腕が評価されている。


昇仙太子碑(699)
いかにも女傑の名に恥じない字だ。
女性の書碑は珍しい。
光明皇后の字にどこか気脈の通じるところがあるとみるが、
如何なものであろうか。

則天武后・昇仙太子碑



欧陽通(?-691)
欧陽洵の第四子。
父と同様に至孝の人と言われ、
武氏一族に抗し謀殺される。

道因法師碑(663)
清らかに落ち着いた字だ。
ゆったりとした空間のなせる業だろうか。
知的な構成の中に、左右に張る線や角に父譲りの強靭さを見出す。
欧陽通も古隷を相当学んだに違いない。

欧陽通・道因法師碑


泉男生墓誌(679)
前記、道因法師碑よりも更に欧陽洵に近いか。

欧陽通・泉男生墓誌


孫過庭(?)
生没の詳細は不明であるが、
博学にして書論に通じていた記録は残っている。

書譜(687)
孫過庭の代表作である。
草書の名書としてばかりでなく、
古来からの書法、書論を説き、書道の変遷を鋭く論じ、
書論としても名高い。
二王の正統を正しく継承しているとされるが、
点・線が縦横無尽に入り乱れ熱気をはらむ。
線の太細、文字の大小、強弱の変化が独特なリズムと変化を生み、
躍動感の溢れる作品となっている。

孫過庭・書譜


薛稷(649-713)
欧虞猪に薛稷を加え初唐の四大家とも呼ばれるが、
欧虞猪の亡き次の時代に活躍した。
伝わっている薛稷の書蹟は数少ない。

昇仙太子碑陰(699)
伝わっている数少ない中で碑文から薛稷の書であることが明確であり、
貴重である。
穏やかな書風は虞世南に通じる。

薛稷・昇仙太子碑陰


信行禅師碑(706)
一転して、この碑は猪遂良に近い。
と言う事は、とりもなおさず、両者の書風を懸命に学んだのであろう。

薛稷・信行禅師碑



薛曜(?)
夏日雄石淙詩()
猪遂良流の細身で強い線が特徴である。
則天武后と遊山したときの書といわれている。

薛曜・夏日雄石淙詩




引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国
創元社:書道入門
平凡社:書道全集第8巻、第10巻
講談社:現代書道全集

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