書の歴史11/
初唐の書


隋朝は短命では有ったが、
南朝北朝を統合し中央集権国家の基礎を築いた。
この隋が着手した中央集権国家を確立し唐王朝300年の基礎を固めたのが太宗である。
若干21歳で、父李淵に勧めて兵を挙げ店か統一を目指した。
統一後、太宗は、均田制、租庸調制、府兵制などの法制を整備し、
東西南北の諸民族を征服し領土を拡大し強固な国家を成立させた。
一方、隋によって基礎が築かれた新しい文化は、
太宗が重視した文化政策もあいまって著しい隆盛を見るのである。

唐文学は詩文が中心で有ったが、書においても黄金時代を迎える。
太宗の異常とも言える書に対する情熱もその一因であろう。
狂的にまで王羲之を愛した逸話が数々残る。
当時の著名な書家、虞世南、欧陽洵、猪遂良らを配し学術研究の場を設け、
科挙試験の項目に書を入れるなど、書の発展、人材の育成に腐心した。

太宗(597〜649)
自身も書の天分に恵まれ、多くの傑作を残している。

晋祠銘(646)。
山西省太原市貞観宝翰亭内に現存する。
太宗が父高祖とともに挙兵した際にその武運を祈願したのが晋祠であり、
後に天下統一の後、太宗がそれに報いる為に建てた碑であり、自ら撰書した。

その書風は如何にも王者に相応しい雄渾にして気力溢れる筆致、
堂々たる風格を保ち、王者の品格に溢れている。
この碑は行書では最古の碑である。

晋祠銘


温泉銘(648)。
太宗が冬季を過ごした驪山温泉、
後に、玄宗皇帝と楊貴妃が豪遊に耽った華清池としても知られる。

温泉銘

この原碑は宋代に既に亡失してしまったと伝えられているが、
今世紀初頭、フランスのペリオが敦煌石窟で発見した古文書の内に、
含まれていたのがこの拓本である。
巻末の墨書から立碑の5年後の採拓と証明された。

王羲之をこよなく愛した太宗はその伝統を見事な筆法で忠実に伝えている。
一方で、
潤いに富んだ気宇雄大なスケール、自由奔放な緩急自在の抑揚、
太宗ならわでの強烈な個性の表現が面目躍如である。


虞世南(558〜638)。
虞世南、欧陽洵、猪遂良は唐の三として名高いが、
虞世南は南朝陳に生まれ、隋の智永に書を学び、初唐に太宗に重用されたが、
既に晩年であった。

孔子廟堂碑(627)。
孔子廟再建の際、太宗の命により虞世南が選書した。
少し縦長の胴をきりっと締めた書風は初唐の楷書の典型である。
線質は穏やかで南朝の優雅さを垣間見る。
懐の深さを感じる。
合理的な構成、単純化された用筆は以後の中国書道の道標となる。

孔子廟堂碑


汝南公墓誌(636)
太宗の皇女、汝南公主の墓碑の草稿。
古来、真偽の議論が多い書だが、
すらすらと書き捨てた書風に王羲之を感じる。

汝南公墓誌


欧陽洵(557〜641)
欧陽洵も、南朝陳に生まれたが謀反人として誅された父を持ち、
恵まれない幼年時代を過ごした、その後、隋、唐を経て唐朝に仕え、
太宗に重用され虞世南と同じような道を辿る。
南方出身の欧陽洵は当然ながら王羲之を学んだに違いない。
一方で、
彼は晋の索靖の碑に魅せられ三日三晩その日の前に佇んだと言う。
南方の書法の中に、北方の厳しさを見出すのは頷ける。
欧陽洵は余程の醜男だったのであろう、
彼の醜男振りを示す幾つかの逸話が残っている。
幼年時代の不遇、容貌の醜さが彼をして、
非情とも言える美しさの追求に走らせたのではないかと言う説も有る。

房彦謙碑(631)
隷書の碑の少ない時期に残された欧陽洵の書と言う事で興味を引く。
彼の書蹟には隷書の碑が意外に多い。
碑は隷書で書くという習慣が有ったのであろうか。
彼は古隷に傾倒していた事も知られているが、
華やかに開く楷書への打算のない充電だったのであろう。

房彦謙碑

化度寺ヨウ禅師塔銘(631)
75歳の作。
残されている欧陽洵の書影は殆どが彼の晩年の物が多い。
この碑は九成宮醴泉銘と並んで欧陽洵の代表作に数えられている。
九成宮醴泉銘に較べ厳しさが少なく、どちらかと言えば温和な気分が有る。

化度寺ヨウ禅師塔銘


九成宮醴泉銘(632)。
太宗が避暑に訪れた九成宮の一隅に甘美な湧水を見出し、
これを記念して建立した碑、欧陽洵76歳の書作である。
故宮址に原石が残る。
古来、「楷法の極則」と称される。
重厚な筆致で揺るぎ無い構築性を誇る。
前作、化度寺ヨウ禅師塔銘の一年後の作であるが、
突然変化とも言える変貌を遂げている。
これは書の目的に因るのであろうか。 

九成宮醴泉銘

古来、典型的な書として書家泣かせの書であるが、
古今の名だたる書家でこの九成宮醴泉銘を完璧に臨書出来たと豪語した人は居ない。
まして、我々なんぞが何をかいわんや、だ。


皇甫誕碑(627-649)
九成宮醴泉銘に比してやや縦長であり、益々、厳しさを増している。
清々とした明るさも感じる。

皇甫誕碑

温彦博碑(637)
欧陽洵最晩年の作と言われる。
鋭さの中に清清しい情感が漂う。
欧陽洵の辿り着いた境地の現れであろうか。
清の何紹其がこよなくこの碑を愛したと言う。

温彦博碑

史事帖
欧陽洵の残した珍しい行書であるが真蹟は伝わっていない。
如何にも欧陽洵らしい強靭な厳しい筆勢である。
奈良時代の日本の書にこの書の書風の影響が見られる。

史事帖





猪遂良(596〜658)
唐の三大書家の中では最も若い。
欧陽洵、虞世南を充分に学んだ上で、彼らには無い用筆、書風を打ち立て、
独自の境地を編み出した。
欧陽洵を失った太宗が「今後誰と書を論じればいいのか」
と嘆いた時に推薦されたのが猪遂良、当時既に名が通っていたのであろう。
太宗没後、高宗に仕え、死をとして高宗を戒めるなど、
義を重んじた政治家でも有った。

枯樹賦(630)
35歳の作とは思えない静かで味合いの深い書だ。
若くしてこの域に達しているのは、余程、非凡な才に恵まれたのだろう。

枯樹賦


伊闕佛龕碑(641)
龍門石窟の賓陽洞の外壁に刻された磨崖である。
正統的な隷書の筆法が見られ、彼が北碑の古典に通じていた事が判る。

伊闕佛龕碑


孟法師碑(642)
猪遂良48歳の作、
59歳の作の雁塔聖教序との余りの書体の違いに唖然とする。
書法の研究へのひたむきさが覗える。
欧陽洵の書に比べ横幅が若干広く若干の丸みも覚え、全体として余裕のある、
ゆったりとした温かみを感じる。
その中に何がしかの重厚味が漂う。

孟法師碑


哀冊帖649)
枯樹賦とも雁塔聖教序とも違った書風である。
これは猪遂良が如何に幅広く書法を追求したかを物語る。
創造性に富んだ多芸な人物だったのだろう。

哀冊帖


房玄齢碑(649-655)
猪遂良晩年の作。
雁塔聖教序に極めて近い書風である。

房玄齢碑


雁塔聖教序(653)
インドから戻った三蔵の為に太宗が自ら与えた序文、

猪遂良が筆を取った。
虞世南、欧陽洵を飛び越えたと言っては語弊があるだろうか。
虞世南、欧陽洵、そして従来の猪遂良をも越脱した書に思える。
修行、研鑚を尽くした上での自由奔放とでも言おうか、無の境地すら感じるのだ。
優雅繊細な趣の中に強烈な意思の力が底に有る。
見掛けは大らかで優しいが、気力を尽くして書いたに違いない。
今、尚、大雁塔の正面を飾る。

雁塔聖教序



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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国