書の歴史・日本編9/江戸時代(1)

山内一豊夫人・消息
さ衛もんのすけ殿下の
山内一豊夫人(1557-1617)
賢妻として武士の妻の鏡とされた。
賢妻振りの逸話が多い。
この書は晩年の書であるが、その気丈さが溢れている。


島津義弘・書状
此方之辛労打続
島津義弘(1535-1619)
其の武勇さで聞こえた武将である。
関が原では西軍に組し敗北し、桜島に蟄居する。
武将の書らしい骨格を秘めている。


織田有楽・書状
それへ御礼ニ可参と存候へ共
さりかたき用候上方へ
信長の弟。
信長の死後秀吉に従う。
関が原では東軍に属す。
大阪冬の陣では、秀頼の補佐役として大阪陣にあったが、
和睦斡旋などで重要な役割を果たした。
千利休の弟子で、利休七哲として知られる。
武人としてよりも茶人として名高い。
尚、東京有楽町は有楽斎の屋敷跡の名を止める。


黒田長政・書状
為見廻千鳥貝
黒田長政(1568-1623)
秀吉の武将として数々の武功を立てる。
関が原では、三成と折り合いが悪く家康方に付く。


高台院・消息
鶴方へまいる
秀吉の正室。
足軽時代の秀吉に嫁ぎよく内助の功を発揮した。
気丈な一面が現われている書だ。


福島正則・書状
態申入候仍大納言此一
両日少御気分悪敷御座候
福島正則(1561-1624)
若きより秀吉の武将として多くの戦功を上げる。
秀吉没後は家康に従い、
関が原の戦いの戦功などで大大名の名を連ねる。 
しかし、秀忠の譴責を買い、領地を没収され蟄居のまま没する。


毛利輝元・書状
粟備申趣承知候於我等
毛利輝元(1553-1625)
元就の孫。
元就より家督を受け、
足利義昭に頼られるなど絶大な勢力を持ち信長秀吉と敵対したが、
信長没後は秀吉に従う。
五大老の一人であり、関が原の戦いでは西軍の盟主に担がれ敗北する。
戦国の風流武将として歌書に秀でていた。


藤堂高虎・書状
急度申入候
一蔵よりむしろ
藤堂高虎(1556-1630)
幼時より武勇の誉れが高かったが、
文学・茶道にも通じていた。


徳川秀忠・小歌
君ハ初音の郭公松に
徳川秀忠(1578-1632)
徳川二代将軍として江戸幕府の基礎を固めた。
人柄も良く学問にも熱心であったという。
豊麗な筆致である。


伊達政宗・書状
関白様会津へ御下向ニ付きて
奥州一帯に勢力を伸ばしたが、
結局は秀吉、家康に順次従った。
支倉常長をローマに派遣し通商貿易を求めるなど、
遠大な計画の持ち主だったことが覗える。
一方で、和歌茶道にも通じ、中央の文化を東北に広めた。


本阿弥光悦・寄進状
道風之法華経
一部十巻井箱机
本阿弥光悦(1558-1637)
本阿弥家は本来刀剣の研磨、鑑定、浄拭を本業とした。
書画、蒔絵、陶器などに秀で当代一の文化人と崇められた。 
特に書では寛永の三筆として名高い。
粋人らしい新鮮繊細な書風である。


大久保彦左衛門・書状
先度者ゑ門被越候・書状
大久保彦左衛門(1550-1639)
常に家康の元にあって数々の武勲を立て、
諸侯に列しさせようとする家康の意向を頑固に辞退したが、
重要な会議には必ず列席し遠慮の内発言をしたと言う。
見るからに頑固一徹さを示す書だ。


松花堂昭乗・長恨歌
長恨者楊貴妃也
松花堂昭乗(1584-1639)
寛永の三筆の一人。
真言密教の法を修め、広く人々から敬慕された。
仏道ばかりでなく、和歌、茶道にも優れ、
書画器玩の見識高い蒐集家としても知られる。
洒脱なしょである。


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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
講談社:日本の書
東京書道研究院刊:書の歴史
講談社:日本書跡全集
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
創元社:書道入門
平凡社:書道全集
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙
白州正子:西行
角田文衛:待賢門院璋子の生涯