続 麗江記8

ママフーレストラン、四方街に来ると必ず此処へ足が向く。
去年、麗江を離れる前の一週間ほど、散歩にかこつけて毎日通って来ては、

 

清いせせらぎを眺め、通行人を眺め、背骨に傷を負った身の将来をあれこれし、
感慨に耽っていたのが、此処だ。



入院して10日目、3月3日、窓から桃のほころびを見ていると、
医者が入って来て何か言ってる。
楊さんが、
「今日から、ホテルへ移っても良いそうです」
と教えてくれる。
やがて、顔見知りの男女が5、6人やって来て、引越しの準備を始めた。
彭社長も交じってる、みんな私事のように嬉しそうだ。

陽光が眩しい、病院の庭に有る人間の背の高さもある木瓜も咲き出した。
幾らも無い荷物をそれぞれ手にしてミニバスに乗り込む。
一寸した揺れでも背筋に痛みが走る、まだまだ、先が思いやられる。
途中の畠も緑で一杯、彼方此方の木々が競って花を付け出している。

移ったホテルは二つ星か三つ星、バス、トイレ、冷蔵庫、TV、電話も付いている。
翌日、楊さんの案内で、近くの大きなホテルの美容院で久しぶりの洗髪、
まだ、頭の傷が残っているらしく、美容師の手が時々止る、ともかく、サッパリした。
ロビーで、これも久しぶりのコーヒーを味合う。
たった4、500mの距離をタクシーで往復。
夕方、何がしかの食べものを持って、顔見知りが集まって来た、
どうやら、私の退院を祝うつもりらしい。

 

私も大きなデコレーションケーキを奮発。
相変わらず、春麗が騒がしく、座を明るくする。
皆の気持ちが痛いほど伝わって来る。
「3月6日はサンド節です、行きませんか?」
サンド節はナシ族のお祭り、世界一の大椿の有る玉峰寺が祭りの中心だと言う。
その大椿も咲き出したそうだが、車で30分、階段を20分登ると聞いて、一寸、無理だろう。

丁度二週間経って、楊さんが、
「明日から仕事に戻ります」
と帰って行った。
彼女は、その後も仕事の合間を見ては顔を出してくれた、
必ず、ボーイフレンドを連れて。



サンド節の当日、散々迷ったが、車の30分、階段の登り20分、
それも、中国時間を考慮に入れると...結局諦める。
夕方、高と曹が、
「それでは、毛沢東広場へ行きましょう」
と、私を誘った。
広場では沢山のナシ族衣裳の人達が輪になって踊る、というより踊り狂う。



輪の中心には大きなかがり火が夜空に舞い上がり、
いやがうえでも、広場に熱気が立ちこめる。
踊りは何種類も有る、盆踊りに近いもの、
フォークダンスの様な単純なのも、サンバの様な複雑なステップも有る。

やがて、舞台の上で、一人のナシ族の正装、未婚の女性の正装だそうだ、
の女性が古歌を歌い出した。
伴奏は無い。
静かな調子から、次第に喉が裂けるのではと思うほどの激しい高音が続く、
動物の叫び声にも似ているが、奇麗な叫びだ、男を誘う恋の歌に違いない。
長く立っていられなくて、近くの茶店へ、一休み。
高は21歳とは思えない落ち着いた男だ、英語が話せる。

二人に、
「将来は、どうするの?」
と聞いてみた、二人とも口を揃えるように、
「故郷に戻って、英語の先生になります」
面白い事に、二人は、
「それは初耳、知らなかった」
と言う風に、お互いに顔を見合わせている。

意外と言えば意外だが、二人の日頃の言動からして、さもありなん、とも思える。
二人とも、所謂、チャラチャラしていない。
古いしきたりや習慣が蠢く、少数民族の殻の中に再び帰って行く、
それが決められた運命、それが当然、そんな意志の固さを感じる。
ホテルに戻ると、留守番の春麗が目を擦っている。
16歳にして、毎日のガイドの仕事、それに加えて、私の面倒、大変な事だ。

つづく

 


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