続 麗江記6

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何時もの店で朝食、
「昨日と同じ物でいいね?」
と、おばさんが調理場へ。
店は客で一杯だ、おばさんの人柄が客を呼び寄せるのだろう、
と言っても10人も入れば坐るところが無い。 
「さくらや」ではスパゲテイが14元、コーヒーが6元してるのに、
ここでは玉子二個入りの粥が2.5元、こんな薄商いで良く成り立つものだと、
他人事ながら心配になる。

歩き出すと「麗江人民病院」の真新しい看板が目に入った。
一寸覗くと広い庭の向こうに立派な建物、去年建築中だったのが完成したのだ。



去年の旧病院は酷かった。
まずトイレが別棟になっていて、病室から50mくらい歩かねばならない。
毎日邵に負ぶさって通ったものだ、
そのトイレも例の如く中国式のドアの無い奴、これが一番参った。
それと電話室が一階、二階の病室から階段の上下が一苦労、
邵一人では無理で誰かもう一人が居た時を見計らう、
両脇を支えられ階段を下りて後の50mが大海を泳ぐように長い。

麗江では一番大きな病院で、医者や医療器具は充実していると言われていたが..。
毎週月曜日の午前中に主任先生が何人か引き連れて巡回、
他の日は若過ぎるくらい若い先生が一日に一回廻ってくる、が傷には一瞥もしない、
「ハオ マ?(どうですか?)」
だけだ。
午前中は点滴、概ね看護婦さんは皆注射が上手で殆ど痛みが無いのだが、
5、6日打つと手首から先が水脹れのように成って、打つところが無い。
仕方なく、手の甲に打った瞬間、指先がピクリと痺れる、この時は吃驚した。
時たま婦長さんが回ってきて、
「部屋の中をもっと整頓しなさい」
邵が叱られる。 そんな時に限って邵しか居合わせない。

入院して直ぐに邵が何処からか大きなスポンジを仕入れて来て
ベッドとシーツの間に挟んだ。
始めは快適だったが、直に、
スッポリと鯛焼きの様な人間の型が出来上がってしまい寝返りも出来ない。
しかし、日増しに快復の兆しが見え4,5日目には 両手で体を支え、
背中に当てる布団の具合で坐る事が出来るようになった。
面白いもので、
「何処が痛みますか?」
と聞かれてもはっきりしなかったのが、だんだん痛いところが明確になる。
左アバラ骨が二個所、右の背中二個所、首の付け根、
どうもアチコチをぶつけたようだ。
下半身、両腕はなんでもない。
寝返りも打てるようになると、
「人間は凄い」
などと我ながら感心する。
しかし、一寸油断してハクションとやると痛みが背筋、アバラから全身に走る。

曹と春麗がはこんでくる朝食は、大体がトーストか、
麗江パーパーという直径が15センチ位のピザの土台のようなもの、
甘いのと甘くないのと、二種類有る。
彼等はこれをお粥に付けて食べる。



こんな想い出を辿りながら、去年は登りたくても登れなかった萬古楼、
四方街の何処からも見上げられる小山の頂上に聳える中国風の塔、を目指す。
萬古楼の三階からの四方街の全貌はまさに世界遺産だ。



 

古い瓦屋根が街を埋め尽くし、
人間が作り出したとは思えない光りと影の幾何学模様が交響曲を奏でる。
入場料15元。
矢印に沿って階段を降りると木戸が有る、
「ハイ、35元」
若い男が片手で箱を突き出す、
「さっき15元払ったよ」
というと、男は黙って、頭の上を指差す、其処には「木府」とある。
あの悪名高い麗江の貴族「木氏」の旧宅だ。
少数民族の住民を動物並みに弾圧した、
と楊から聞いていたので、何となく虫唾が走り、
引き返そうとしたが、又頂上近くまで登らなければならない。
ごみ箱に捨てるように35元を箱に投げ入れる。
改修が済んだばかりの「木府」、
貴族と言ってもこの僻地、その想像以上に建物は豪華を極めている。
収集品の多さ見事さにも目を見張る。
少数民族の人々の血と汗を絞り取った結晶がこんな形で文化遺産として残っているのだから、
複雑だ。

木府からの帰り道、何時もは通らない四方街の一角で、彫刻の壁飾りが目に付いた。
少し通り過ぎてから引き返して、店に入り込む。
木さんと言う若い中国画家が主人、気持ちの良い男だ、居心地が良くて暫く話し込む。
日本でも個展をやった事が有るとか、仲々に見応えの有る彫刻、中国画が並んでいる。



同じような店が何軒か並んでいるが、
これで生計を立てて行くのは大変な事だろう。
それとこれとは別問題で、彫刻と中国画で500元を250元に値切る。

804
何時もの店で何時ものお粥。
邵の旅行社覗くと、邵、和、鐘、可、高達が忙しく立ち働いている、
客がひっきりなしに入ってくる。
ホテルの手配、ツアーの相談、値段交渉、白人の中年女性の値段交渉は凄まじい。
虎が吠えるような、唸るような腹の底から絞り出すような大声で高圧的、
応対する邵もタジタジだ。
見ていると、邵が中心になっている、去年、あんなにモタモタしていたのに、
どうやらマネージャーに抜擢されたらしい。 
中国語、英語、フランス語が飛び交う。
フランス人、スイス人、中には国籍不明人も居るが、
此処でも主役は中国人。

一息ついたところで、邵が中甸の曹に電話を入れてくれる。
懐かしい曹が電話の奥で話し掛ける、
「どうしても此方の仕事があって、当分も麗江には行けそうもないの、
あなた、此方に来ませんか?
香格里拉(シャンガリラ)は素晴らしいところよ」

この「シャンガリラ」で急に気が変わった。
以前から聞いた事のある「シャンガリーラ」が中甸とは知らなかったのだ。 
邵が直ぐ午後2時半発のバスの予約をしてくれた、
麗江からバスで5時間、何とか成るだろう。
急いでホテルに戻り荷物を纏めてチェックアウト。
スパゲテイを控えめに、ビールも控えめにして、5時間のバスに備える。

バスを待つ間、和君が、
近くのピーターズカフェという白人目当てのカフェに付き合ってくれた。
コーヒーを御馳走になる。
丁度居合わせた日本人青年が、何か礼を言って店を出て行く。
和君はこの秋から上海大学経済学部で貿易の勉強をするのだそうだ。
上海大学といえば中国でも指折りの有名大学、相当な難関を乗り越えたのだ。
「将来、日本やアメリカで仕事がしたいです」
と目を輝かす。

さっきの日本青年が戻ってきて、頭を何度も下げ、しきりに礼を言ってるようだ。
和君が教えてくれた、
「彼は肝心な人に肝心なお礼を言うのを忘れたといって、
途中から引き返してきたのです。
日本人は礼儀正しいんですね」
と目を丸くしている。
(この間、数日、中甸で過ごす。中国・中甸記参照)

つづく

 


続 麗江記7

熟年の中国一人旅(中国編)