続 麗江記4

やがて、楊が現れた。
一年半ぶりの抱擁、相変わらず、毎日ガイドで動き回っているのだろう、
ピチピチしたピンク色の顔が輝いている.
健康其の物だ。
「友人です」
と、連れの男性を紹介する。
去年、病室へ何回も連れて来た男性とは違った顔だ。



顔は違うが筋肉質で鼻筋の通った彫の深い横顔は共通している、
彼女の好みなのだろう。
想い出話が弾む、幼児時代は別として、
スプーンで食事させて貰ったのは、この世で彼女だけだ。
「毎日毎日忙しくて、もう一ヶ月も休んでないのよ。
上海、広東辺りからのお客さんがドッと増えたの、
日本人も去年より増えました」



料理はナシ料理、松茸の炒め物、蕗をこれ以上柔らかくならない程柔らかく煮てある。
彼女は納豆?と言ったが、日本では麦を発酵させた、確か「ナメミソ」と呼んだと思うが、
その麦が大豆に変わった物、これがハムに包れている。

楊が携帯電話で邵に電話を入れる、一ヶ月間毎晩付添ってくれたあの邵だ。
もう10時に近いのに彼はまだ仕事中、春麗は未だ帰ってない、
曹は仕事で中甸に行っている。
春麗と曹、あの食事掛りだった二人だ。
明日の晩、邵と春麗に会える事にる。

私をタクシーに乗せ、運転手に行き先を告げると、
二人は小指を絡ませて帰って行った。

帰りがけに、昨夜の店でビールを買い込む、
親父は3.5元のお釣、0.5元をどうしても受取らない。
意地なのか誇りなのか、こうゆう中国人も居る。

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朝、窓を開けて玉龍雪山を仰ぐとひんやりとした空気が入り込む、気温は21度、
急いで長袖、長ズボンに着替える。 

旅に出て一番困るのが食事だ。
刺身、納豆、奴豆腐、魚の干物が常食で、肉、油ものは全く駄目ときているから、
食べるものを探すのが容易ではない。
まず、米の不味さ、唯一、と言ってよいのが魚の煮物。
しかし、こちらの魚は川魚、何回か食べていると、匂いが鼻に付いてくる。 
あとは緬とスパゲテイで凌ぐのだが、緬も日本のラーメンのようなのは無く、
油っぽかったり妙な匂いがしたりで、仲々これと言うのが見つからない。 
スパゲテイも大きな街では有り付けるのだが、
これも油ベトベトで、見ただけで食欲が無くなる。
今回はタイ、ラオス、中国の僻地を廻るので、荷物を最少にすべく、
何時も持ち歩く炊飯器、日本米は持って来てない。 
せめてと、バッグに忍ばせたのが、振掛け、海苔の佃煮、醤油の小瓶、
これにはお世話になった。

朝食は昨日から行き付けの小さな店、
おばさんと気立ての良さそうな二人の娘さんが応対してくれる。



ぶっきらぼうだが親切なおばさんが私を炊事場に呼び入れて、
「あんたの注文通りに作ってやるから言ってみなさい」
と、手振り身振りで話す。
「お粥に玉子を二つ入れて半熟にして」
と、こちらも手振り身振りで話す。
醤油と振掛けを味付け、たった、これだけの事だが、これで暫く生き延びられる。
あと、素緬に醤油と振掛け海苔の佃煮を入れて、
まあ、何とか食べられる物に有り付けた。

所謂、御馳走と言われる奴が、私にとっては死の苦しみなのだから、
哀れと言うか、情けない話だ。
それにしても、旅に出て、斯様な粗食で、あとはビールでもたせるのだから、
そんなに長生きは出来ないこと必須だ。
そうそう、不思議な事に、鶏の空揚げだけは食べられる。
昆明では毎日これを食べていたが、これが相当の栄養源に成っていたようだ。
もっと良く探せば、何か有るのだろうが、
日本でも、刺身、納豆、奴豆腐、魚の干物、あとは茸や木の芽の天婦羅、
そんなもの以外には食指が動かないのだから、食不精と言う奴なのだろう。

そう言えば、今回、途中まで一緒だったSは、
「旅の目的は食だ」
とまで言い切る。
彼は言った先々で、先ず。その土地の食名物、
その土地にしか無い珍味を探し回る。
市場、屋台も目の色を変えて歩き回る、
その貪欲さには目を見張ったものだが、羨ましい限りだ。 
彼はタイ北部の街々で、
「アルマジェロが食いたい」
と血眼で探し回ったが、タイでは既にアルマジェロが発売禁止になっていて、
どうしても見付ける事が出来なかった。
彼と別れた後で、そのアルマジェロを、
私が偶然にも口にする事が出来たのだが、
それを知った彼は血相を変えて口惜しがったものだ。

つづく

 


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