続 麗江記10

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朝、5時のモーニングコールで目が覚める。
昨日、昼間のうちに荷物の整理がして有るから心配ないが、
昨夜の酒がまだ喉のあたりまで残っている。
朦朧として、顔を洗って戻ると、四川人の軍人さんがベッドに半身起き上がって、
「気を付けてな、朋友、あんたに会えて楽しかったぜ」
皆で写真を撮る機会を逸したのが残念。

振り返ると、未明の空に、玉龍雪山の峰峰がだんだんと全貌を現す。



去年、麗江を離れる前日、病院で脳波を取った後、
娘と瑞枝ちゃん、そして陳先生と、あの玉龍雪山の麓に有る、雲杉坪を訪れた。
車で1時間、
更にロープウエイで30分程登った雲杉坪から
目のあたりに見る玉龍雪山は奇麗を通り越して、



凄まじい、人を寄せ付けない神々しさを感じる。
この山は、ナシ族の聖山と崇められているが、
厳しさと同時に、動植物、薬草など、豊かな恵みにも富んでるのだ。
緯度的に最も赤道に近い氷河の有る山として、学術的にも知られている。
一面に開けた芝生の広場で、
それぞれが、ナシ族、ぺー族、チベット族の衣裳で写真に収まる。
漢族の陳先生がチベット民族衣裳を着ると、全くのチベット族に変身、娘も瑞枝ちゃんも、
人が間違うほどのナシ族、ぺー族に変身してしまうのだから不思議だ。

 



、元々、先祖は同じなのだろう、かく言う私は、元々??族なのか、皆に、
「ぴったりよ!」
とか、からかわれる。 貸し衣裳代5元。

多種の漢方薬草が売られている、「冬虫夏草」という、
文字通り、冬は生物、夏は植物になる珍しい薬草
、肝臓?の薬とかで、珍しさに魅せられて買い込む。
其の他、漢方薬信者には涎が垂れるであろう漢方薬がずらりと並んでいる。
このあたりは、名にし負う漢方薬の名産地、これも亜熱帯の高地ならではの事だろう。

雲杉坪の帰り道、あのサンド節の時に行けなかった玉峰寺に寄る、
多少時期を逸したものの、
世界一と言われる大椿は健在だった。

 

 

玉峰寺はナシ族の守神とか、ナシ族の老若男女が一心に祈りを捧げる傍らに、
樹齢500年の大椿が盛りを過ぎたとはいえ
無数の真紅の花弁を天と地、前後左右に向けて咲き誇っている。
流石世界一と言われるだけ有る、見事なものだ。
辺りには、あたかも日本のお花見のように、筵を広げた家族が点々と屯す。

もう一つが、明時代の壁画が残る白沙村、かって此処が麗江地区の中心だった。
その面影が幽かに残るのが、お寺と壁画、明時代に領主の木氏が、
ナシ、ペー、チベット、イ族の四族の画家に描かせた壁画、釈迦を中心に、
大勢のチベット族、道教、仏教の僧侶が描かれている。
古さは、勿論、これだけの他民族、多宗に描かれたのが価値があり、珍しいのだろう。
残念ながら、宗教心の無い私にはその良さが、とんと、判らない。
大変な苦労をして文化大革命をかいくぐったのそうだ。

通りすがりの村落に梨、桃、桜も咲き出した。

 


中国の民家には植木が無いと思ったのは大間違い、どの庭にも花が満ち満ちている。
咲いてみて判るのだが、どの家も花をいっぱいに抱えている。



そんな想い出が数え切れない
ほど詰まったいる麗江、最後の残ったのが保障問題だった。
私が留学生の籍を置く岳陽から意気込んで乗り込んできた陳先生は気鋭の25歳、
彼女には連日交渉に取り組んで戴いた。
陳先生の努力で、掛かった費用の一切合切と、
日本で考える額の二桁ぐらい下の見舞金と
「後遺症についてはお構いなし」
の契約書にサインした時は、彭社長も胸をなで下ろした事と思う。
もしも私が現役で、会社でも中に入った時は大変だったことであろう。
彭さんはじめ、社を挙げての対応、それ以上の好意、
それだけで十分はおろか、余りがある。

外資系のH社の保険で、娘達の来中国の費用も出たし、
面白いのは、その後、岳陽で毎日通った按摩費用も全額、
更に、この按摩も中国では通院とみなされ一日幾らの交付金もバッチリ戴いた、
これが、帰国した時のカミさんの顔色にも幾分現れていたように思う。


その一年半後、こうして、のらりくらりでは有るが、
僻地を放浪出来るのだから、有り難いことだ。

(完)

 


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