昆明留学雑記6

夕方からA、T宅でシュテポン、ヴィサラ、安英、Nと天婦羅パーテー。
久し振りの日本女性の手作り料理、何を食べても美味しい、やはり女は女だ。 
安英はハニ族の女性、大阪女のAと親しいせいか彼女の日本語は大阪弁だ。
夜中から凄い土砂降り。


昨夜ベッドから落ちて机の角に額をぶつける、
旗本退屈男のような傷が出来たが眼ではなくて良かった。
ここえきて時間の経過が速い速い。


昼食を皆で食べてから、骨董カメラ屋へ出掛ける。 
シュテパンは中国製の二眼レフを買った、これで二つ目だ。 
凝り性の彼は現像タンクなども買い揃え今度は写真に凝りだしたのだ。
ソ連製の中古品が多い。 

ライカの古いのが置いて有る、鍵マークが付いているところを見ると、
大戦中のものだろう、3800元の札がついて居る。



何となく欲しくなったが、ゼンザブロニカもマミヤも棚の奥で眠ってるし止めておく。
カメラマニアは涎を垂らしそうだ。

その足で去年毎日の様に通った生ビールの店に出掛けたがまだ生ビールはやってない。 
もう五月、例年ならとっくに始まってる筈なのに、今年の異常気候が無駄足を運ばせた。
空揚げ屋のオネエチャンは相変わらず元気で、向こうから手を振っている。
それにしても昆明の空は青い。





Iさんは風景専門のカメラマン、長髪を紐で後に括っている。
昆明を拠点に雲南、タイ、ラオスを廻っては写真を取り捲り、
フィルムを日本に送りフィルムライブラリーに収め、
誰かが気に入ったのが有って売れれば自動的に振込みがされる仕組みだそうだ。 
我々の遊びと違って、売るとなると仲々大変だろう。
ラオス、タイは20回位行ってるとか。


張先生宅の餃子パーテー。
同じクラスのA、N、タイ夫婦が先生宅に招待された。
タイの奥さん君は凄まじく食べて凄まじしく話す、流石のAも口を開く暇が無い。

張先生宅は学校の敷地の中に有る先生用宿舎、4ldk、
奇麗な広い居間にイギリスやオランダ、そしてデンマークの陶器、ソ連の人形など、
いろんな国の飾り物が飾られている。

 

 

先生としての海外視察の旅行が多かったそうだ。
中国の中流階級の居住条件は頗る良い。 
先生の特権でこんな家が3万元位で買えるのだから羨ましい。


帰りに炉端焼き、と言っても、店の前の広場に幾つかのテーブルが並べられる露天だ。
まず、炭火の上の網の周囲に臭豆腐をぐるっと並べる、
真中に、船の形に二つに裂かれ何か茶色の物が載せられている茄子、
そして、ジャガイモ、唐瓜、モツ、等々どれも美味しい。 

 

店の主人も手馴れたもので我々が顔を出すと、
何処からか冷えたビールを抱えてくる、最高。
佳境に入ると煙がもうもうと立ちあがる、運悪く風下に座ったら大変だ。
良い香が漂い始めると、待ちきれなくなった誰かが突つき始める。
ここでもタイのステポン青年が膳奉行、手際良く、
菜材を並べ、焼きあがり始めた一尺もある大きな茄子を幾つかに切り刻む。

 





 

ここは雲南大学の門前、留学生の溜まり場でも有る。
隣はタイのグループ、その隣はイタリアのグループ、その向こうは国籍不明だ。
顔の広いステパンはそれぞれのテーブルのグループと顔馴染、あっちこっちに、
「ヤー」
とか、
「ヨー」
とか手を上げながら、網の上の獲物を器用にひっくり返す。
彼は、将来、バンコクで衣類関係の商売をするらしいが、
きっと、凄い商売人に成るだろう。

結構長い間中国に滞在しているが、このような炉端焼きは珍しい。 
普通の中国料理屋ではこの手の野菜や魚の焼物にはお目に掛かった事が無い。
といっても、日本風ではなく、れっきとした中国風、
昆明から南の方にかけて昔からの食べ方でもあるそうだ。

そういえば何時かの韓国料理屋は、
日本でみる韓国料理屋と同じようにテーブルの真中に網が掘り込んであった。 
あそこのキムチは美味かった。

キムチと言えば、韓国からの留学生の安ちゃん、彼の作るキムチは抜群、
彼は三日に空けず一升瓶の背を低くしたような瓶一杯にキムチを作ってくるが、
たちまち空になってしまう。
安家の秘伝だそうだ。


「純然たる日本カラオケ屋があるってヨ」
と、誰かが聞きつけてきた。
「よーし、みんなで行こう」
と言う事に成ったが、集まったのはA、N、Na、私の4人。
明るい内から12時の閉店まで久し振りの演歌を歌い捲くる。
日本の中古のカラオケ装置だが、曲目は多い。 勿論、裕次郎も有る。
日本の航空会社の連中の溜まり場だそうだが、時間制限無しで頗る安い。 



日本酒の一升瓶を奮発、日本円で1万円と高い、普通の松竹梅だが輸入品なのだ。

 

 

次に、昆明滞在中に廻った幾つかの見所を紹介しよう。




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