昆明留学雑記5

メールを打ちに出かける。
今日は空いてるが時間帯によっては満員になる。
国の経営する電信電話公社の支店なようなみたいなものか、
客の半分は白人、日本人、韓国人で占められ、
あとの半分が中国人、いずれも学生風だ。




毎週土曜の午後、田先生に書の指導を受ける。
 田先生は昆明書壇の第一人者だ。

或る日、出入れの表装屋が居合わせた、良く喋る男だ。
毛沢東の悪口が始まった。
彼はまだ30代だろうか、彼の毛沢東に対する評価は、
「打江山容易、治江山難」
簡単に言えば、
「毛沢東は戦争は巧いが、政治は下手だ」
とでも成るだろうか。

私が居合わせたせいか、
「日本は別にして、」
から始まる。

「毛沢東のやった、大躍進、大煉鋼田、文化革命の三つの政策で中国は15年を無駄にした。」
「文化革命時、胸に毛沢東マークを付けたり、朝起きた時、食事の時、トイレに行く時、寝る時、
毛沢東語録を暗唱した、全く馬鹿げている。」
「当時、何でも食べた、例えばトウモロコシの実を食べた後、その芯を残して砕いて食べた。
古くから家に伝わっていた薬の処方箋など古い書類は皆燃やしてしまった。」
「馬鹿な事をしたもんだ」
と嘆く。
先生と私は聞き役だ。
田先生は右派、文革当時は農村で働かされていたそうだ。

そう言えば、いつか、中国語の授業で、
「象徴と言う文字を使って短文を作りなさい」
と言う宿題が有った時、私が、
「毛沢東は中国の象徴である」
と書いたら、
「文章は正しいが、内容は間違っている。 毛沢東は中国の象徴ではありません」
と先生に正された事が有った。

毛沢東の評価は下降一方だ、それに引き替え、周恩来の評価は日増しに上がっている。
外国との門戸が開け外国の沢山の情報がTV、新聞を通じ直に入って来るようになり、
中国国民の殆どが益々其の感をを深めているようだ。

田先生がズボンを捲くると脛に生々しい傷跡が有る、対日戦争での古傷だ。
そんな彼は対日の悪感情を億尾にも出さない。 
「青春の思い出ですよ」
と笑う。


遂に盗難に遭う。
授業の合間の休憩時間は、教室の並んだ一番奥の休憩室に、みんな集まってくる。 
始め1ヶ月間位、大金の現金は胴巻きに入れて胴に巻いていたが、
余りの安全さに、何時の間にか胴巻きごと小リックに抛りこんで持ち歩き、
休憩時間は机の上に放り出したまま休憩室に駈け込み一服する、
そんな習慣になってしまっていた。

たった10分程の間の出来事だ。
或る日、休憩室から戻ると、空の胴巻きが机の下にポロリと落ちていた。
弗、円、元の現金が跡形もない空の胴巻きはいかにも薄汚い。

幸いにも、同じように抛りこんであったパスポートとトラベルチェックが安泰で助かった。
中国での盗難事故はこれで三度目だが、いつも、安心しきった頃にやられている。
自分の不注意だから仕方ないが口惜しい。


Y達が濾沽湖、麗江から帰ってきた。
驚いた事に、彼女達は曹建飛(麗江で世話になった建蔚の恋人、中甸記参照)
とバスで隣り合わせた。
「うちら、雲南民族学院の学生やー」
「じゃー、安房守知ってるかい?」
「知ってるも知って無いもないわー、うちらのクラスメートやがナー」
威勢の良い大阪弁のAが中国語を話すと大阪弁のアクセントだ。
「彼は俺の朋友だ」
「ヘーッ、ほんまかいなー」
「ヘーッ、チェンダーマー」
ってなことだったらしい、世の中は狭い。
明日、一緒に飲もうと言う事になって、曹建飛が私を迎えに来る事に成ったそうだ。

5時半の約束なので、急いで風呂に入っていたら曹建飛が三人連れてやってきた。
曹建飛は摩梭人、連れの二人も摩梭人、一人は建蔚の従兄弟で昆明に住んでいるそうだ。
部屋中にぶら下げてある書を盛んに誉めてくれる、中国人は人を持ち上げるのが上手い。

やがて、黄環、シュテパン、Aがやってきた。
あと、建蔚の親戚の民院の学生二人、都合9人で食事。

このところ、変なところが出てきて座るのも痛い、飲み過ぎらしい。
で、流石に今日は控えてチビチビやることにする。
Aは女だてらに酒豪、黄環は相変わらずお茶しか飲まないで静かにニコニコしている。
あの「アニマル」の異名をとるタイ青年のシュテパンも底無しの大酒豪だが摩梭人達も凄い、
イッキイッキの連続で、瞬く間に空のビール瓶がずらりと並ぶ。

黄環は父が中国人だから中国語が達者なのは判るが、
「アニマル」は漢字が全く駄目なのに中国語はぺらぺら喋る。 
彼は、将来、バンコクで衣類関係の商売をするらしいが、きっと、凄い商売人に成るだろう、
でかい体で、馬力が有って、動きも速く、回転も早く、人を逸らせない。

Aの中国語学力は殆ど私と変わらないのに、彼女は中国人と対等に話す、
こちらは心臓で勝負だ、昆明語も飛び交う。
もう少し中国語が判るか、或いは、心臓が強ければとつくづく思う。

誰かが、
「カラオケへ行こう!」
と言い出した。
我々がたまに出入れする場末のカラオケ屋と違って豪華な造り、
銀座あたりの一寸したカラオケ屋の雰囲気だ。
絨毯を引き詰めた広い廊下の左右に小部屋が幾つも並んでいる。 
中央のロビーのような広い部屋に思いっきり肌を顕し着飾った女達が屯している。
中国の一寸した金持ち達の遊び場なのだろう。

マネージャーが現われる。 
従兄弟君が「私の友人です。」と紹介する。
皆、良く歌を知っている。
カラオケの画面はラスベガス辺りのくだけたバーで観る例の強烈な奴だ。
厚化粧の女が入ってきて、従兄弟君の隣に寄り添って座る。
「私の友人です。」
と、また、紹介する。
彼等の飲みっぷりは凄いのなんの、ここでも10本のビールが瞬く間、唄いっぷりも凄い。

 

 

 

 

彼等を見ていると、あの濾沽湖のダシラチィオとの余りの違いに驚く。
同じ摩梭人であり、キリストの雰囲気すら有る風貌のダシラチィオが、
古い摩梭人の風習、習慣を頑なに守り続けているのに対し、彼の従兄弟は、
携帯電話を操り、セダンを乗り回し、厚化粧の女を侍らしてカラオケに興じる、
少なくも私よりも現代人だ。
古代の風習の残る摩梭人のたったの一世代でのこの格差は不可思議である。

中国のカラオケを一つ二つ覚えなければ、と思うのだが、私の歌えるものは無い。
私の好きな裕次郎風は中国では好まれないらしい、美空ひばりも聞かない。
どちらかと言えば、「北国の春」のような声を張り上げるのが好まれる様だ。
大抵の中国人が「北国の春」を知っていて、中国の歌だと思い込んでる人が多い


と或る日、田先生から、
「仲間のパーテーがあるから貴方も一緒に行こう」
と誘われる。
30人位の昆明の書家、画家達が一堂に会すらしい。
恥ずかしいが参加して見よう。
少し遅れて田先生宅へつくと、先生はもう門前で待っておられる、恐縮だ。

バーテーと聞いて居たが、満族の李さんと言う方の展覧会を兼ねている。
香宮酒店のロビー一杯に巾1.2m、長さ47mの大きな大きな仏画が広げられている。





李さんが7年半掛けて作り上げた力作、釈迦の一生を描いた仏画だ。
満族と言えば、最後の中国皇帝、日本との係わり合いも深い。
田先生が、
「彼は満族、日本人の貴方には親近感があるでしょう」
と紹介してくれた。
穏やかな笑顔で肩を抱かれる、気のせいか、
彼の私に対する目の光に懐かしさを感じる。

彼の作品は20万元で何処かの企業に引き取られたそうだ。
昆明書壇の先生方から始まり台湾や上海から出席の著名な先生方々の祝辞が延々と続く。
欠伸をしかかった時、突然、
「日本の朋友が出席されています」
の紹介があって、
「なにか、一言..」
日本語で話して通訳していただく。

歴史に残るであろう仏画の空間に著名な書家達が、
それぞれ、詩や句を書き入れて行く。
色彩豊かな仏画に鮮やかに書き入れられる真っ黒な墨の文字、
中国の美術の極みを堪能する。

常に謙虚な田先生が、李さんに促されて始めて仏画に向かい筆を持つと、
辺りに一瞬の静寂、書き終わるとひときわ高い歓声が上がる。



脇で真剣な面持ちをしているのは、
田先生の書教室で時々一緒になる兄弟弟子の朱雲燕チャン
まだ13歳のあどけない少女だ。
その少女が私の目の前で、
「月落烏啼霜満天....」
を、すらすらと草書で仕上げる。 
彼女は数々の書展で高位の賞を獲得し、
中国書壇の天才少女と言われているのがうなずける。
(彼女とは今でも文通している、もう高校生になった)

一段落すると、出席者の希望に応じての書家達の揮毫が始まる。
皆自信に満ちた書きっぷりだ、

 

が、気に入らない部分を平気で修正しているのが面白い。
日本でのこのような席でこのような修正は余り見られない。 
彼我の気質の違いなのだろう。


日頃穏やかな田先生、書の指導となると仲々厳しく、頑固だ。
先生の意の通りにならないと何度でも書きなおされる。
基礎の大事さを強調する。 
先生の書かれる縦の線が仲々真似出来ない
全体観、濃淡、太い細い、大小、一本の線の変化、
そして、粗細、枯潤、方円、疎密、仰臥、正倒、等。
書はまず「看」そして「練」そして「悟」、を強調される。
その他、色々な教えが有ったが、
「いつまでもお手本頼りでは駄目です。
 一番大事なの創造、早く自分の字を作り出しなさい」
が最後の指導だった。

田先生は「梅」がお好きだ。
「貴方に上げよう」
と自作の詩を書いて下さった。


高風亮節倣氷霜
百花迎春第一香
鉄石気概質堅勁
不与凡奔闘芬芳

厳しい冬を耐えて花々が一斉に迎える春、
その一番を切って花香を掲げるのが梅だ。
梅の強い精神力、生命力を称えている。 

「そんな梅の気概が好きなんです、人生も然りです」
と先生は微笑まられる。


中国映画には余り興味が無かったが、
暇に任せて見て居る内に張芝謀の熱烈なフアンに成ってしまった。
張芝謀が監督する映画のどれも、内容は単純だが奥が深い。
一つ一つの画面が美しい絵の様だ。
「我的母親父親」の章子(りっしん偏に台)という女優の演じる可憐な女性、
切ない恋心の仕草、表情には身が切られる思いだ。

「私的漂亮ママ」はコンリーが普通のお母さんを好演して居る。
「題名は忘れたが田舎の若い女代理教師の話」の代理先生を演じる女の子、
彼女は全くの素人だそうだが、彼女の一途な演技は映画で有る事を忘れさせられる。
暫く振りに感動した映画だ。

「活若」そして「紅高粱」「紅河谷」「菊豆」「畫魂」等々見始めたらキリが無くなった。
ただ、私の中国語力では細かいところが理解できないのが残念だ。


雨の日、ぼんやりTVを見ていたら、なんと、私がTVに写ってる。
先日の李さんの仏画発表パーテーの模様だ。 
記念に写真に収めておこうと慌ててカメラを向けたが、
あっという間に他の場面に移ってしまう。




熟年の一人旅(中国編TOP)