松陰寺記

「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」
で知られる白隠さんはこの辺りの原宿にあった旅籠屋の三男坊だったそうだ。



その名は昔から聞いている白隠さんは臨済宗中興の祖として著名な宗教家だそうが、
達磨の絵は知っているがどのような偉業を成した人か知らない。
要するに名僧なのだろうが名僧と愚僧は何処がどう違うのか判らない。

昔の東海道はこの松陰寺の門前を通っている。



参勤交代のお殿様たちが此処に立ち寄って白隠さんとお話しするのが楽しみだったとか。
白隠に傾倒し白隠の言葉を座右の銘にした良寛の書が石碑になっている。







開放されている本堂に入ってみる。
まず、目に付くのが三枚の大額、白隠さんの書だろうか。







どの字も気持ち良く大胆で澄んでいる。



ご本尊の上の掛かっている額は睦仁と署名があるから明治天皇の書らしい。
両側の唐紙の書は静岡出身の著名な書人、沖六鵬の書だ。



この蔵の中には、白隠の達磨像他の遺品が多く保存されていると聞く。



白隠の描いた達磨像の現物など、ちょいと覗いてみたいが、
いきなりと言うわけにはいかないだろう、次の機会に譲ることにする。

修行に入る時、洗面板というこの木版を打ち、
その音で心も目覚めさせようとするのだそうだ。




生死事大 光陰可惜 無常迅速 謹莫放逸

寺の裏手に白隠のお墓がある。





白隠が生存していた頃に富士山が爆発して宝永山が出来た。
彼はたまたま関西への修行中で不在だったとか、
はたまた異説には、村民たちが右往左往する中微動だにせず座禅をしていたとか。





線路を渡り、松林を潜ると駿河湾が眼前に広がる。







右も左も人っ子一人居ない冬の海だ。



流木の間に健気に咲く花もある。





帰り掛けの道端に
白隠生地跡を示す大きな石碑がマンションと競うように建っていた。




たまたま、白隠所縁の地に住み着いたが、
白隠の事は達磨の絵の事以外には何も知らない。
従って、白隠記としたいところを松陰寺記にした次第。