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伊八を巡る旅 2

宿を出て太平洋岸に沿って外房を北上する。
清澄寺、誕生寺も横目で見て素通りだ。
安房から夷隅へ、鵜原、勝浦、御宿、大原、を通り抜ける。
この辺りはサーフィンのメッカだ。
いすみ市の岬町にある飯縄寺が今日の最初の目的地。

飯縄寺。
808年、慈覚大師開山。
江戸初期の天海上人と縁が深く寛永寺直轄寺院でもあった。
室町期様式の仁王門、茅葺の屋根の茅が分厚く暖かい。





飯縄寺の名は信濃国の飯綱山の飯縄権現に由来する。
境内に入ってまず目に付くのが珍し瓦葺き屋根の手洗い場。



そして、鐘楼。



四面にある花鳥風月。



蛇のようだ。



これは波の間を縫う龍。



何かの動物?



これも何かの動物らしい。



獅子の夫婦?



これも獅子、上の獅子と微妙に目付きが異なる。



雌鳥と雄鶏らしい。



月に兎、微笑ましい。

本堂、







飯縄権現を崇めた山岳信仰、愈々天狗の出番だ。





別名・天狗寺とも呼ばれている由縁だ。
本堂の中には天狗の姿をした神が並んでいる。
本堂上部にデンとあるのが本日の眼目、伊八の名作「結界欄間」だ。







天狗と牛若丸。
そして、左右にあるのが「波と飛龍」。





天井には北斎の師と言われる堤等淋作の龍が鋭い眼光を放つ。



境内には梅が咲きだしている。







もう一度ガラガラを鳴らす。



「結界欄間」を裏から見る。



本堂外面の両脇にも見事な彫刻。





本堂入り口の両脇にある彫物、今まで彼方此方で見た物よりも何がしか彫が深い感じがする。





そして、中国の何処かで見たような気もする彫物だ。

鐘楼で鐘を突く、何時までも余韻が残る。
海で働く漁師達に時を告げるように、海に向けて音が響くように設計されているのだそうだ。


行元寺。
849年、慈覚大師円仁によって草創され、
以降、平重盛、土岐氏、などの復興、再建を経て、
江戸時代に至るまで多くの学僧を輩出した。
上野寛永寺学頭となり家光の師として知られる厳海もその一人である。



江戸時代は御朱印30石、10万石の処遇を受け、
上総・安房に末寺96か寺を有する大寺院として、関東天台の中核をなし
、学問寺および祈願時として発展した房総の名刹である。



 

このお寺が所蔵する波の伊八の名作「波に宝珠」などをしっかり写真に収めようとしたのだが、
残念、このお寺は写真撮影禁止。
何故、撮影禁止にするのか判らない。
絵画はフラッシュ光で損傷があるらしいが彫刻に何か悪影響を及ぼすのだろうか。
後述の極彩色の高松又八の作品などには悪影響があるのかもしれない。
ならば、此処は良し、此処は駄目とかの配慮が欲しい。
「北斎の名作のルーツがここにある 宮彫師「波の伊八」の世界をたずねて」
と銘打ったツアーは満員締め切りの盛況らしい。
観光バスが停まるような大きな駐車場が出来ている。

幾つかNET等から収集したものを掲載する。
江戸幕府公儀彫物師として活躍した高松又八の作品がこのお寺に残っている。
戦災などにより高松又八の作品は此処に残されたもの以外現存しないとのことだ。





桃山文化の風情が漂ってくる。
等隋の「土岐の鷹」。



この地は名門土岐氏との関係が深い。
北条氏と共に滅んだ大多喜土岐家を偲んだ「土岐の鷹」だろうか。
それとも、
鷹の畫を得意とした土岐家嫡流の土岐頼芸を偲んだのだろうか。
頼芸は斉藤道山に追われ、一時、傍流の大多喜土岐家を頼ったが、その後、名家土岐家は滅びた。

先の飯縄寺の天井画を描いた堤等淋は葛飾北斎の師であり、
北斎と等隋兄弟弟子に当たる。
等淋、等隋はこの地と縁が深く、
北斎が師・等淋の畫を観に来てたまたま伊八の「波に宝珠」を観て、
例の「神奈川沖波裏」のヒントを得たと言うのは満更作り事でもなさそうだ。



庭では蝋梅が芳香を放つ。





帰り掛けに山門の内側にこんな物を見つけた。
この模様、柄にはどんな意味があるのだろう。







伊八は「関東へ行ったら波は彫るな」と彫り物師仲間では崇められ認められた存在だったらしいが、
どちらかと言えば、つい最近まで埋もれた存在だったのが不思議だ。
一介の彫り物師、職人という評価だったのだろう。
絵画とも違う、仏像とも茶器とも違う、造園とも違う、
何かの違いで人口に膾炙しなかったのだろう。

太平洋の荒波の中へ馬で乗り入れ崩れる波を凝視した、
そんな努力が真剣さが、今、報いられた、と思おう。



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