麗江から中甸までは5時間のバス旅

邵と和君がバス停までタクシーで送ってくれて、バスの席も確保してくれた。
「麗江に戻ったら一緒に飲もう」
と指切りして二人は帰って行った。



30分遅れで出発した中甸行きのバスは8分通りの客、と見ていたら、
途中で何回も止まっては客を拾い、
人と荷物で足の置き場が無いくらいになってしまう。

60才がらみの日本人が通訳らしい中国人女性と乗り合わせた。
彼は腹具合がおかしいらしく、
バスが山中の一軒家の給水所で止る度に、左右をウロウロする。



運転手が、
「どうしたね?」
と尋ねと連れの女性が、
「トイレ..」
「そんなもの..(あるかい)」
と言った顔で運ちゃんは横を向いて煙草をふかす。
その度に小一時間待たされるのだが、文句一つ言う客は居ない。

標高2400mの麗江から3200mの中甸への道は、所々簡易舗装もあるが、一応舗装道路だ。



道の沿って白波を立てる急流が続く。
上高地まで行って更に槍沢を車で登って行く感じに近い。
幾つかの峠を越えて、草原に出ると 麦の穂が逆光に輝く。
更に進むと、両側に赤、青、黄色、紫、白、いろんな高山植物が咲き乱れる、
こんな景色が何キロも何キロも続いて夕闇の迫る中甸の街に入る。


バス停に着くと、曹が飛びついてきた。
彼女の友人の李さん、他に彼女の同僚らしい男女2、3人も笑顔で出迎えてくれる。
直ぐに、案内されたレストランで更に4、5人加わっての歓迎会、
彼等は何かと言うと人を集めての歓迎会だ。



それぞれの自己紹介を、 日本の群馬県に2年住んだと言う苟さんが通訳してくれる。
曹と積もる話も出来ないまま、その苟さんがオーナーだと言うホテルに案内される。
中甸の街から1kmも離れた草原の中の真新しいホテルだ。


805
朝粥を流し込んで、ホテルの周囲を散歩する。
見渡す限り草原の真っ只中を一本の幹道が横切り、
その道路の沿ってぽつんとあるホテル、



360度が草原だ。
空の青が透き通る、放牧の牛の群れが咲き乱れる花の中でゆったりと草を食む。

群れに近づくと、牛達と牧童が一斉に私の方を向いた。
牛は直ぐに草を食みだしたが牧童は何時までも見ている。
物珍しいのだろうか。





ここの草原の緑は、何と表現したら良いだろう。
新緑の緑とも違う、家の庭の芝生の緑とも違う、何処かで見た緑だけど思い出せない。
秋の尾瀬の紅葉に交じった緑に近いかも判らない、涼しい緑と言ったところか。

今回、中甸に招いてくれた曹、正式には曹建蔚、摩梭人と言う少数民族の女の子だ。
建蔚が難しいので私は何時も、曹操的曹(曹操の曹)と呼んでいる。
昨年、麗江で知り合った。
当時のことを思い出す。
彼女は日本語は全く話せない、おのずと、話しは中国語と英語、
ところが、こちとらは中国語も英語もカタコトだから仲々解せない、
「昆明の大学を卒業して、就職したばかりで、まだ見習いです」
「父は普米族、母は摩梭人、摩梭人は人口が余りに少ないので「族」を名乗れない。」
「家は、麗江からバスで10時間ほど北の方向の濾沽湖のほとりの有る」
くらいは理解出来た。
摩梭人は現在でも母系家族制度を頑なに守っている少数民族として知られている。
アチュウと言う通い婚の古代風習が未だに残っているのだ。
この風習についてもいろいろ説明してくれたが、半分も理解出来ない。
翌日、摩梭人の風習が書かれた本を持ってきてくれた。
勿論、中国語でチンプンカンプンだ。
そんな事が何回か続いた或る時、冗談交じりに、
「ボーイフレンドは?」
の質問に対して、彼女の涼しい目元に陰が出来る。
「昆明の大学に付き合ってる人が居ました、だけど、
両親に反対されてお付き合いを止めました」
「何故?」
「彼が漢民族の人だからです」
「あなたのご両親は何故漢民族の人との付き合いを許さないの?」
「習慣とか、物の考え方が違うからです」
「それであなたはどうするの」
「両親の意見に従います」
大きな黒い瞳がますます潤む。
仲間が戻ると、曹は何時もの爽やかな顔に戻り、すっと話題を変える。
そんな事まで話してくれて、何か一肌脱ぎたくなるのだが、
日本ならともかく、微妙な言葉、習慣のニュアンスの異なる異郷、
結局、何もして上げる事が出来なかった。

一年半ぶりの曹は何か吹っ切れた感じだ。
10時に曹と李紅梅が迎えに来た。
李紅梅は、曹の昆明の大学でのクラスメート、
シーサンパンナの方で英語の先生をしていて、
夏休みを利用して遊びに来ているのだそうだ、彼女はイ族。
羅窟帽と呼ばれる真っ黒で凧のような大きな帽子を被る、
独特な民族衣装で知られている、あのイ族だ。

曹の同僚の運転する四駆で、雲南省で最大のラマ教の寺院、松賛林寺へ。



3200mの高所、150段の階段を息も絶え絶えに登り切る、
朝粥一杯の身にはこたえ過ぎる。




 
寺の内部に入ると、両手で抱え切れない程の丸い木の柱が乱立する。
外観は白壁造りだが内部は全くの木造、薄暗い壁一面に壁画、
その一つ一つにストーリーが有るようだ。





曹が一つ一つ説明してくれるが、さっぱり判らない、
ラマ教の知識が少しでもあればと悔やむ。
曹が要所要所の仏像に敬謙な祈りを捧げる。
「あなたもお祈りしなさい」
先ず、両手を合わせ頭上にかかげ、次ぎは胸元、
最後に跪いて両手と額を床に付ける。
教えられたとうりに祈ると、
宗教に全く無関心な私の胸にも、
ふっと、神々しい物が通り過ぎるような気分になる。







御坊さん達が??で飾り物を作っている。
原料は牛乳、これを畳半畳ほどの板の上に平らに広げ型で切り張りする。



更にいろんな色材で染めて、重ね重ねて立体的な絵を作り上げる。
原色の多い色彩豊かな粘度細工の如きだ。 これが祭壇の両脇に飾られる。

 

このお寺には常時500人程のお坊さんが修行している。
お坊さんの衣裳は橙色に近い黄色、タイで見た物と少し色合いが違う。







薄い酸素のせいか、息苦しくなり、
人込みを離れて屋上で深呼吸をしていると曹が心配そうに寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
そんな事から会話が始まる。
「すみません、濾沽湖ご案内出来なくて、
彼が中甸で旅行社を始めたの、私は彼を手伝っているのです。 
とても忙しくて、どうしても時間が取れないの、
濾沽湖の私の家に行って下さい、私の妹がご案内します。」
こんな事を言ってるようだ。
真っ黒な潤んだ瞳に去年の寂しげな光は微塵も無く、むしろ輝いている。
充実した毎日なのだろう。
「彼は今昆明に行ってます、2、3日したら中甸に戻ります。
戻ったらあなたに紹介します。
新しい旅行社なので彼はあちこち飛び回っています、
だから、私が事務所の雑用を全部引き受けています。」

中甸に戻って昼食、チベット料理が並んだが、正直言って全く口に合わない。
ひたすらビールを飲んでいたら疲れがドッと襲ってきた。
午後は紅梅が何処かを案内すると言うのを断って、ホテルでダウン。


805
夕方、中甸の街をぶらつく。
中甸は廸慶チベット自治州の州都、雲南とチベットを結ぶ交通の要所だ。
州の人口は32万人、その84%がチベット族、リス族、ナシ族、イ族などの少数民族、
チベット族が一番多い。
廸慶はチベット語で「吉祥如意の地」の意味だそうだ。
だだっ広いメイン通りが街の中心を貫き、
その道に面して銀行、郵便局、ホテル等のいろんな建物が並んでいる。
一番高い建物で10階くらいか、地図で見ると、
街の一角に古城と言う地域がある、其処が旧市街だろう。
まあ、埃っぽい田舎町と言ったところだ。
どれがどれだか判らないが、いろんな種類の民族衣装の人達に行き合う。



キョロキョロしていたり、大きな荷物を抱えていたりしているところを見ると、
もっと奥の方から街に買物に出てきた人達のようだ。

曹から電話が入る、
「ご飯食べたか?」
「ゆっくり休めたか?」
「何処へ行ってた?」
とか、結構うるさい。
「明朝9時に李が迎えに行く」
「夜は一緒に食事しましょう」
矢継ぎ早に、喋るから、こんな事しか理解出来ない。
面と向っている時は、直ぐ筆談になるのだが、電話は不便だ。
それにしても、曹は全く元気になった。

改めて地図を眺めていると、比較的近くに「岩絵区」というのを発見。
もしかしたら、Hさんの言っていた「岩絵」が
此所で観れるかも判らないとおもうとゾクゾクしてきた。

モタモタして9時過ぎに食堂へ行くと、もう電気が消えている。
「近くに食堂有る?」
と尋ねると、
「一寸、待って下さい」
と、奥に消える、1分もしないうちに、食堂の電気が点いた。
さっきの女の子ともう二人の女の子、
食堂係りか、料理人らしい若い男も入ってきた。
「何を食べたいですか」
「魚、有る?」
と聞くと、若い男が手招きする、付いて行くと料理場だ。
女の子も三人ががぞろぞろ付いて来る。
生簀に何匹か魚が泳いでいる、鯉らしい。

100人も入れそうな大きな食堂、
沢山並んでいるテーブルの一つに「紅焼魚」と ビールが並ぶ。
一人では寂しいのではとでも思ったのだろう。
6、7人の男女がテーブルを取り囲んでワイワイガヤガヤ何かと世話を焼く。
受付係、食堂係、守衛さん、コックさん、マネージャー達、
皆10代、20代の健康そうな若者達だ。 





どの笑顔にも全く邪気を感じない。 
彼らは3日間、ぶっとうしの勤務、72時間勤務して、24時間休む、
そんな勤務体制だそうだ。 
自己紹介をしてくれる、殆どがチベット族、一人だけがナシ族。

さっきの「岩絵区」のことをみんなに聞いてみた。
皆で、ああだ、こうだ、話し合っていたが、誰も判らないようだ。
一人が、
「この辺の事に詳しい友人が居るから」
と電話する。
「車がやっと通れる道を半日行って、
あと、凄い山道を歩いて半日、とても辺鄙な遠いところだ」
だそうだ、危険も伴なうらしい。
今回の体調では残念ながら断念するしかない。
部屋で紹興酒をしこたま飲んでダウン。


806
9時に李が迎えに来た。
「今日は碧塔海湖へ案内します、タクシーを雇いました、一日150元です」
値段も安いが、物凄いタクシーだ、それでも床に穴は空いてない。
気持ちいい若い運チャン、快活で笑顔が絶えない。
ただ、助手席の李と、真横を向いて話っぱなしだ。
新しくて奇麗な舗装道路ではあるがガードレールは全く無い。
そんな道を唸りを上げて飛ばす。
対向車が殆ど無いのがせめてもの救いだ。

緩い起伏の谷間は高山植物でびっしりだ。
そんな湿原を縫って、かと思うと、穏やかな流れを辿るように進む。
時々、木の柱が剥き出した白壁の民家が遠景になり近景になる。
どの家も判で捺した様に同じ外観だ、
木の柱が五本剥き出している、チベット族独特の民家だ。

だんだん勾配がきつくなると、ボロ車は喘ぎ出す、遂に白煙を吐いてエンコ。
多分、オーバーヒートだと思うが、どうしても前の蓋が開けられない。
何台か車が通るが停まってくれない。
彼は土地の人間らしいから、その内に、
知り合いが通るのを心得ているのだろう、
ニコニコして煙草をふかしている。
こちらも別に急ぐ旅でもないし、どっかり腰を下ろして、
標高3400Mの高原の空気を胸一杯吸う。
「この車は何馬力だ?」
「たしか45馬力だ」
「俺の車は200馬力だ」
彼は目を真ん丸くする。
フェアレディZをちょいと自慢する。

三人で話し込んでいると、車が停まった。
彼の友人だ、しかも、車に詳しいらしく、
難なく前蓋を開けあちこちチェックしだした。



開けて吃驚、
ラジエーターの中に突っ込んだ指にヌルヌルした物が付いている。
もう、何年も手入れをしてない感じだ。
それでも、なんとか動き出すから不思議だ。

最後の坂を殆ど止まらんばかりに、やっと、やっと、辿り着いたところは、
見晴らしの良い山頂が駐車場になっている。
たいして車も通らなかったのに、駐車場は車で一杯だ。
碧塔海湖は山頂を下った奥まった辺りにあるらしい。
「湖まで馬に乗るか? 歩くか?」
迷わず、
「歩く」
を選ぶ。



桧だろうか、樹齢100年は越えてるような太い針葉樹の林の中の丸木の歩道、
木の高さは4、50Mもあるだろうか、
空のかけらも見えない、まさに森林浴。
始めは気分良く歩いていたが、なかなか湖が見えてこない、
下り傾斜もますます厳しくなる。
人道と馬道は別れているが、
ジグザグに交叉していて、時々馬の行列と行き合う。

小一時間ほどで湖畔に出た。



あれだけ居た人々が何処に消えたのかと思うほど静かすぎる。
湖畔に連なる広い草原には牛、馬が寝そべる。



静かだ、水も清い、空気も美味い、空は筒抜けに真っ青だ。
ちなみに、この碧塔海湖は日本のガイドブックには載っていない。

帰りは黙って馬上の人、若いチベット族のお嬢さんが手綱を取る。
人も這うような急坂になると馬は肩で息をして、立ち止まりかける。
優しい顔の娘さんが形相を変えて鋭い声を発する、
馬は喘ぎ喘ぎ、一歩一歩、首を大きく上下する。
馬と人間の真剣勝負を見ているようだ。
片道24元。

駐車場まで戻り、木株で一服していると、
さっきの娘さんが、馬の首を撫でて、何かを与えている。
さっきの顔付き、鋭い声からは想像出来ない優しい目付き、手付きだ。
暫く見ていると、娘さんはポンと馬の首辺りを叩くと、
手綱をとって山道をまた降りて行った。






806(つづき)
さて、車が動かない。
何人かが寄ってたかって弄りまくるがウンともスンとも言わない。
スイスから来たと言う白人の男女が、我々の惨状をみて、
「ソリー、私の車は満員なんだ」
と申しわけなさそうに山を下りて行った、
成る程、定員オーバー気味の車の窓から大男がはみ出している。
李があちこちの人と交渉して、
中甸まで載せて行ってくれる車を探し出した。
ボロ車の運チャンには60元だけ支払う、
これも李が交渉、仲々交渉力が有る。
便乗した車は、非番のタクシーの運チャンが奥さんとのドライブらしい、
仲々安全運転だ。
暫くすると、
「はーるーかーはーなれてーそーのまたーむこう....」
と歌い出した、確かこの歌はチベット民謡? 思わず私も口ずさむ。
一寸、振り返った運チャン、気をよくしたのか、
一段と大声を上げ、スピードも上げる。
大きなカーブでハンドルを切り損なった、
「またもや?]
と目をつむる、右へ左へ傾いて、危うく難を逃れる。
運チャンが歌い出すと危ない。

夕方、知らない男から電話が掛かってきた。
ドスの聞いた声で何かガナっているがさっぱり判らない、
曹の知り合いらしい。
「今夜家に食事を来い、迎えに行く」
と言ってるようだ。
受付けに行くと、タクシーが待ってると言う。
受付嬢がタクシーの運チャンに行き先を指示しているようだ。
10分も走って、もう少し行くと草原が広がる街外れに下ろされた、
何処にも人影が無い。
運チャンも下りてきて、あたりの家に大声を上げる。

一本前の角から李紅梅が走ってきた。
紅梅の後ろに付いて来た40がらみの目鼻のくっきりした
肩幅の広い大男が私の手を握る、大きな手だ。
彼の後ろに2、3人の男女を従えている。
苗さんは曹の上司で、彼等は曹の同僚、と紹介される。
曹はここに寝起きしている、李紅梅も此処で厄介になってるらしい。
後で聞くと、曹のボーイフレンドが社長で、苗さんが副社長とのことだった。

奥さんも笑顔一杯で出迎えてくれる、
最初チュウデンに着いた時、出迎えの人達に交じっていた顔だ。
土塀に囲まれた300坪位の敷地に100坪位の建物、
中の上位の規模か?
最初に30畳位の客間に案内される、
一面一杯の大きな祭壇がチベット族の宗教心の強さを物語る。
物珍しいチベット族の民家の中なのに、電池切れで写真が撮れない。
居間兼食堂兼台所の様な部屋で食卓を囲む、
傍で男と女が一緒になって料理を作る。
部屋の中央に竈が有って、常にお湯を沸かしている、燃料は木だ。
暫くして、曹も帰ってきた。
皆が一生懸命勧めてくれるが、どうも、チベット料理は口に合わない。
折角の松茸料理も油が多すぎる、これを焼いてくれると有難いのだけど..
それでも松茸をつまみながらビールを限りなく戴く。
彼等は余り酒を飲まない、後でそのわけが判ったのだが..

苗さんは豪快快活、時々鋭さを発する大きな目、
キリリと引き締まった口元、三船敏郎そっくりだ。
「貴方は、日本の三船敏郎という映画俳優に似ています」
と言うと、
「よく、中国の映画俳優の???に似ていると言われるんです」
と当然のようにケロッとしている。
四方山話が弾むが、殆ど理解出来ない。
私は話題に乏しく、口下手なので、日本ででも、所謂、会食は苦手だ。
例えば、大好きな映画の話でも、題名や俳優の名前が直ぐ出てこない、
音楽の話も然り、酒の話も然り、旅の話も然り。
だけど、ほろ酔い加減で、人の話を聞いているのは大好きだ。

表に出ると、満空に無数の星が燦然と輝く、
天の川、これほど鮮明な天の川は生まれて初めてだ。
北斗七星、オリオン、北極星も沢山の星を従えて煌煌と光る。

苗さんが、また一族郎党を従えてホテルまで送ってくれた。
曹が
「明日はどうしますか?」
と、しきりに心配するが、
「明日は休息」


807
朝は懲りずにお粥、しかし、醤油、海苔、振掛けの味付けにも鼻が付いて来た。
日本料理やは見当たらない。
何でも食べられる人が羨ましい。
と言って自分で作れるのは、せいぜいラーメン、スパゲテイ、くらい。
Sの様に何処へ行くのにも包丁を一本忍ばせていって何でも作ってしまう。
何時も、長旅途上で、今度帰ったら今度こそ、
YさんやSを見習って料理学校にでも通おうと決心するのだが、
「成田決心」の英語のようなもので、
家に着くと何処かへ霧の如く消え去る。
英語も西洋史も然り、中国語も中国史も然りだ。

ガイドブックに有った中甸の街が一望出来る「大亀山公園」へノソノソと動き出した。
中国では、麗江も大理もそうだが、旧市街と新市街がはっきり分かれている街が多い。
ここ中甸も市街の南端に古城と呼ばれる旧市街がある。
余りに複雑すぎるのか、殆ど舗装もされていない。
もう幾日か前に降ったであろう雨溜りがあちこちに残っている。
そんな路地を彷徨すると、あちこちに昔の中国、支那の残骸がそのまんま残っている。
古い家を捨てて新しい街に移って行く人が多いと聞くが、既に、無人化しているのだろうか、
低い軒、朽ち果てた瓦屋根からは雑草が吹き出し、表戸は隙間だらけ、
そんな中から裸の子供が勢い良く飛び出して来たり、
買い物篭をぶら下げたおばさんがヒョッコリ顔を出したり、
まだ、幽かに生活の匂いが残っているようでもある。
ここまでくると、趣を通り越して、無惨に近い、新しいのは嫌、無惨も嫌、
こんなのは通りすがりの旅人の我侭なのだろう。

大亀山公園を登り切ると「朝陽楼」と書かれた楼閣、
ここから中甸の街が穏やかな谷間に広がっている。













手前の旧街は一握りほど、その向こうに中央の大通りを中心に新市街が連なる。
街の周囲には建設中の鉄骨が幾つも空を突き刺している。
ここでも新しい街造りが始っているのだ。

どうも、食事が合わない、そう毎日お粥ばかりでは体が持たない。
酒のつまみも松茸ばかりでは飽きてしまう。
曹も忙しそうだし、曹には申し訳ないが、
丁度通りかかったバス駅で明日の麗江行き切符を買ってしまう。
そう言えば、今日は曹から電話が無い、きっと忙しいのだろう。
何しろ、街中の人口2,3万人の中甸にこの半年で86万人の旅行者が訪れたと言うのだから、
まだ数少ない旅行社の忙しさが想像出来る。

その松茸と魚をつまみにビールでも飲もうと注文したところへ、曹から電話、
「今から行きます」
一杯も飲み終わらないうちに、
曹と苗さんが例の如く一族郎党を引き連れてドヤドヤとやって来てテーブルに丸くなる。
彼等流の遠来の客に対する心遣いなのだ。
「何か食べますか?」
「もう、皆、食事を済ませました」
「じゃー、何か飲みますか?」
皆、首を横に振るのを無視してビールを四、五本追加する。
ビールを注いでも、皆、お義理程度に口を付けるだけだ。
「曹建蔚の友達は我々の友達だ」
「皆、あんたに好意を持っている」
「明日、パーテーをやるからあんたも来ないか」
苗さんの奥さん、遣り手そうな若い女性、
一昨日も昨日も顔を出した陽気な男、
始めてみる顔も2、3人、皆、なんやかやと話し掛けてくれる。
曹に、こうゆう訳でと、バスの切符を示すと、彼女は、
「ノーノー」
と言って、切符を懐にしまってしまった。
「せめて、あと一日、切符は変更しておきます」

達はビールを少しずつ飲むが女性は全く飲まない。
「どうして、女性は飲まないんだ?」
「習慣だ」
と苗さんが答える。
「もし、内の女房が酒を飲んだら、ピーン、ピーンだ」
と頬を叩く仕草。
遣り手そうな女性も、
「もし、私が飲んだら、兄にピーン、ピーンよ」
と隣の男を指差す、彼は彼女のお兄さんらしい。
もう、一組の男女も同じ仕草をする。
私が曹を指差して、
「モーソ人は女が強いと聞いてるけど..」
苗さんが、親指を突き出す。
「チベット族は違う、男が一番だ。 日本ではどうなんだ?」
「昔は、日本では男が絶対だった、今は違う、
私は家で全く自由が無い、だからこうして旅に出るんだ」
皆、神妙な顔付きになる。 私が、
「でも、苗さんが留守の時、奥さんはガブガブ飲んでるのではないの?」
と問うと、
「そんな事は絶対に無い」
と苗さんが首を上下すると、皆が一斉に、
「ヤーイ、ヤーイ」
と囃し立てる、如何にも貞節そうな奥さんはニコニコしているだけだ。

彼等の知ってる日本語は、
「今日は」
「さよなら」
次に出て来たのは、
「ヨーシ!」と「バカヤロー」。
みんな映画の見過ぎだ。
「日本では、「ヨーシ」は何か意志を固めた時、
「バカヤロー」は罵声も有るが、
特に親密な友人同士が愛称的に使う事も多い」
と説明すると、皆、肯いている。

一刻過ぎると、彼等は蜘蛛の子を散らすように帰って行った。


808
朝、李が変更したバスの切符を持って来た。
「今日は、納怕海草原へ行きましょう」
と腕を引っ張る。
余り気が進まなかったが、
「とっても良い所です、今日は一昨日よりましなタクシーです、往復45元」
重い腰を上げる。

中甸から6K、広い谷間を縫って走ると、
周囲を山で囲まれた納怕海草原に出る。
どのようにしてこの様な地形が出来たのか不思議なくらいに真っ平だ、
多分、湖の跡だろう。
いろんな色彩の花が咲き乱れる。
澄み切った空気、周囲の山の向こうに白い山が頭を出している。



掘っ建て小屋の事務所に、馬子や売り子、旅行者も何人か居るが、
草原に出ると人影は疎らだ。
疎らと言っても、後楽園球場の100倍くらいのところに人間が数人、
そんな人間密度だろうか。





馬に乗る、一時間30元、馬の群れ、牛の群れの中を馬が進む。
幾ら進んでも向こうの麓の民家が豆粒にしか見えない。
草原に大の字になる、海の底にいるような錯覚に陥る。

小羊を連れた少女達がやって来て写真をせがむ。
こんなところでも、小遣い稼ぎが始っている、何枚撮っても2元。



碧塔海湖も今日の納怕海草原も日本のガイドブックにはまだ載ってないが、時間の問題だろう。















最近、昆明―中甸間の空路も開通して、昆明から一時間弱で来れる様になった。


夕方、曹と李が迎えに来た。
連れて行かれたのはチベット族の民家、二階の50畳位の大きな真四角の部屋、
周囲には椅子とテーブルがぐるりと並べられている。
「これから、パーテーが始ります、貴方の席は此処」と私を坐らせられる、
部屋の中央に人の二抱えもある太い柱、
一方の壁面の半分は仏壇、



その前に囲炉裏があり、
博物館で見るような大きな金属製の器が載っている。
高さが1M位、直径4、50cmの細長い器の上面に三つの口がある。

暫くすると、ドヤドヤと人が入って来て、三三五五、席に着く。
苗さんも、沢山の客を従えて入って来た。 どうも、観光用のパーテーの様だ。
何時の間にか、部屋が人で埋まる、100人は居る。

その中に日本語の話せる苟さんも交じっていて、
私を見付けると横に坐った。
「これはチベット族の歓迎パーテーさー、もっとも、観光用さー、一人15元ずつ取るんだからさー、
主催者はホクホクさー。 毎日毎日、客が絶えないさー」
一寸、「さー」の使い方が多いが流暢な日本語だ。
「何しろ人口15万人、市街地だと2、3万人の中甸に、半年で82万人の旅行者が来るのですからさー、
ちなみにさー、市街地の人口7万人の麗江は半年で200万人、
昆明なんかさー、半年で800万人さー」

流石、ホテル経営者、数字がポンポン飛び出す。
「あなた知ってる、中甸はさー、松茸が沢山取れるさー、
ここの市場の一日に取扱量は一日2、30トンあるさー、
みんな日本向けよー。 
だからさー、昔は只みたいだった松茸がさー、日本円でキロ2000円もするさー」

「一寸、部屋の中をご案内しましょう」
立ち上がった苟さんの後につく。

まず、部屋の中央の柱、
「これは日本で言う大黒柱さー、
この柱の太さで、その家の金持ち具合が判るさー」



次いで、囲炉裏、
「チベット族の民家には、どの家にも、この様な囲炉裏が有るさー、
此方側は女性が坐れないのよー」
と囲炉裏の奥側を指差す。
「そして、その席へ坐るのには、必ず、仏壇側から入るさー、これは絶対さー」
三つの口の有る容器、
「 この三つの器の二つには常にお湯が沸いているさー、
一つは神仏用、一つは人間用、もう一つは雑飯用さー、
人間の食べた残り物を此処に入れて、あとで馬や牛にやるさー。」
「上にぶら下がっているのは、チーズさー」

部屋の入口の近くの戸の無い押し入れのようなものの中の大きな銅製の容器、
「これは水瓶さー、この材質が鉄か銅かで、その家がお金持ちかどうか分かるさー」
「水甕の上に有る三つの柄杓、一つは神仏専用さー」

やがて、机の上が、チーズ、バター、果物、いろんなお菓子で一杯になる。
小さな白い陶器の杯も置かれている。



民族衣装の娘さん達が、



シャンガリラ特産の青「禾偏に果」酒と呼ばれる白酒を注ぎ廻ると、
華やかな歌と踊りが始る。 



歌はソロあり、合唱もあり、踊りも多種多彩。



曹も民族衣装で接待に余念が無い、時々、私の方へ手を振る。

 

客は、白人は一人も居ない、全部中国人のようだ。 
中にはデジカメや小型のビデオを廻している人も居る、
香港、台湾、広東方面からの客だろう。
ともかく、騒がしい。
何組かが、それぞれ、白酒を注ぎ合っては、大声で、
「乾杯! 乾杯!」
苗さん達旅行社の人達が、
その一つ一つを間断無く巡り廻り、杯を捧げ何か歌って、
「乾杯!乾杯!」



よくあんなに飲めるものだと思うほどこれを繰り返す、
彼等はこれを毎日やっているのだ。
私と一緒の時は何時も余り飲まなかった訳が判った。

曹がボーイフレンド(男朋友の英語訳だが、こちらでは特別の関係の有る男友達、要するに恋人)を連れて来た。
知的で沈着、キビキビした好青年、
「昆明から、今日、中甸に帰りました、失礼しました」
口数は少ないが、仲々切れそうでもある。
改めて、差し出された名刺を見ると、
彼が社長、あの苗さんが副社長、うまい取り合わせだ。

宴も終りに近づくと、皆、表に出て、焚き火の廻りを踊り出した。
日本の田舎祭り、フランスの田舎で見た祭りと全く同じだ。





最後に残った曹、曹の恋人、苗さん、苗さんの奥さん、李達と写真に収まる。
曹と二人が、ホテルまで送ってくれた。
曹は余りに純朴過ぎる、これから、
こんなめまぐるしい業界で巧くやって行けるだろうか?
一寸、そんな不安が頭の隅を過ぎる。


809
早朝、二人がバス駅まで送ってくれた。
昨夜は、あれから後始末やらで大変だったろうに...
「今度貴方がいらした時は、私が徳欽を案内します」
彼の言葉を背にバスは麗江に向けて出発、曹が何時までも手を振っている。
徳欽は中甸から更にバスで5時間、周辺を6000mの山々に囲まれた、絶景地と聞く、
今回はその5時間、往復10時間で諦めた。
ここまで来て心残りだが、また、その内にチャンスがあるだろう。
人生は永い。

帰りのバス、中年の如何にも頼もしそうな運チャンだ。
発車停車の度に前後左右を確認する、今度こそ安全運転のようだ。
去年は3時間も走ると、数台の転落車を見たが、
今年は殆ど見当たらない、なんて思っていたら、
マイクロバスが谷間に転がっている、でも見たのは、その1台だけだ。
道も良くなっている。
只、谷間をえぐるように走る道にガードレールはまだ無い。 
所々に大小の落石が、道の真ん中まで転がっている、
上を見上げると、山の中腹から鋭い崖崩れの後が何本かえぐられたままだ。
大草原から幾つか峠を越えて虎跳峡の街、
虎跳峡はここから車で小一時間のところにある。
「ここで昼食」
と言って、運チャンは食堂に入って行った。

去年、この虎跳峡見学ツアーの途中でバスの転落事故に遭遇し、
背骨の圧縮骨折で一ヶ月ほど麗江の病院に入院していた。
その時、麗江の旅行者に居た曹にお世話になったのだ。
退院して麗江を離れる時に、
まだ繋ぎきらない背骨を抑えながらここへやって来た。

虎跳峡、凄まじい。
5000M強の玉龍雪山の肩のあたりを
鉈で叩き割った様な1000Mもある絶壁を金沙江が切り裂く。
200M位の川幅が一挙に30M位に狭まった虎跳峡の烈流は見る者を圧倒する。
長江が中国大陸を横切る重要な交通機関で有ったのは四川まで、
舟も人馬も、魚さえもこの激流を通り抜ける事は出来ない。
長江が海に注ぐのは、ここからまだ、3000KMは有るだろう。

30分程して運チャンが戻って来た。
途中、事故の有ったのは確かこのあたりと、窓から目を凝らすが、
去年とは見違えるほど道が整備されていて、遂に見付からない。
去年3時間の道程が2時間に短縮されている。
もしかしたら、ここの道路改善、観光開発の一翼を私も担ったのかも知れない。


(完)

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