初秋の奈良5
東大寺から興福寺

東大寺。
聖武天皇が国力を尽くして建立し国威を確立したが、
その一方で、
大規模な建設工事で国の財政事情が悪化し橘奈良麻呂の乱など大衆の不満を招いたとされる。



折から何かの催しだろうか、変なものが大仏殿の両脇に立っている。
何か意味、意図が在るのだろうが門外漢にとっては、
これを目立たないように写真を撮るのが大変なのだ。



大仏殿は過去二回兵火に遭っている。
信じられない話だが、大仏様が野ざらしにされた時期があったのだ。
今の建物は三代目、元禄から宝永年間に再建されたものと言う。
一代目の建物に比べ間口は三分の二に縮小されている。

不思議なことに大仏様は撮影が自由、
考えてみると当然だと思う、他がおかしい。
減るものでは無し。
確かに、絵画などはフラッシ光が悪さをするらしい。
撮影自由となるとなかなか良い写真が撮れないものだ。













私の写真力では、まあ、こんなもんだろう。
大仏殿の前、心地良く芝生が広がっている。





一歩外へ出ると鹿が寄って来た。



興福寺
藤原鎌足が病に伏したとき夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して造営したのが起源とされる。
以後、天皇家、藤原家の手厚い庇護の元に益々寺勢を増した。

興福寺境内の真ん中では今しも中金堂の再建が進んでいる。
平成30年の完成だそうだ、さてはて、お目に掛かれるかどうか。
威風堂々の五重塔を上から下に眺めて、東金堂に入る。



東金堂の十二神将、それぞれが個性豊かだ。
鎌倉時代の傑作、勿論、国宝。
左下の伐折羅像のみが草履履きで他はみんな沓履きだ。



各像の頭部に干支が被されている。



文殊菩薩像。






国宝館。
興福寺に来たらこれを観なくては収まりがつかない、乾漆八部衆立像。
仏法を守る8神、古代印度の諸神が仏教に帰依し守り神となったとされる。
長い年月を経て各地の風土に溶け合っていろんな形に変身して伝わったらしい。
奈良時代の興福寺にはこの様な形で伝わったのだろう。



幾つか拡大してみよう。
元来は戦闘神であった阿修羅像。



何処にも居そうな左右の悪戯っ子が正面を向くと知性が宿り何かを悟った顔になる。
明治初年、廃仏毀釈の煽りで阿修羅像の腕が何本か折れた状態で放置されていたという。

五部浄、計り知れない眸の深さだ。



迦楼羅像、龍を食べる鳥、悪を食い尽くし家内安全を守る。



乾闥婆像、香を食べ、神々の酒を守るとされる。



沙掲羅像、竜宮の王という。
水の恵を保っているのだろうか。




板彫り12神将、
中国の何処かで同じような製法の像を見たことがある。
絵のような彫刻のような、よく観ると一人一人?ユーモアのあるお顔だ。




乾漆十大弟子像









何かを語り掛け様としている。
慈しみであり、哀れみであり、悟りでもあるのだろう。

現代の我々(少なくも信仰心の薄い私)はこれらの仏像を美の対象、芸術品として観るのだが、
これ等の仏像を造った人々は信仰の対象として造り造らせたのであろう。
しかし、
知らず知らずの内に頭を垂れ手を合わせ祈りを捧げている自分が其処に居る。
人間の自然な営みなのかもしれない。

つづく