近江記6
正応寺

投網の小父さん、
橋の上に見物人が増えて勿体ぶったのか仲々網を広げない。 
残念だが先を急ぐ。

次は正応寺、
先ほどの神照寺と同じ谷の中だ。
「この道を真っ直ぐ行って、○○で左に曲がって、川に沿って少し戻ってずっと行って右に曲がると、
田んぼの向こうに大きなお寺が見えます、それが正応寺です」
教えられた通りに行くと青田の向こうに、



山裾の森に包まれた一際目立つ建物、正応寺だ。



如何にも格調の高いお寺の様相を呈する。





階段をゆっくり上がって立派な山門を潜る。





正応寺には事前に電話を入れてある。
境内に数台の車が止まって居る。
案内を請うと、
いそいそと奥様らしい方が出て来た。
「拝観させて下さい」
「ああ、さっきの方ですね、すみません、
住職からの詳しい説明は出来ませんが、私で良ければ、
急に葬儀がはいったもので・・・」
「いえいえ、拝観だけで結構です」

にも拘らず、
忙しさを微塵だにお顔に出さないおっとりとしたご対応だ。
人柄か、土地柄か。



正応寺は、
琵琶湖周辺の正傳寺、高照寺と共に近江三ヶ寺と云われた格式高い古刹である。
永平寺から移築されたと云う二階が鐘楼の山門と言うのがさっき潜った山門なのだろう。
昔はこの周りにお堂が沢山有って雲水さんが沢山居られたのだそうだ。

ご本尊の聖観音等は別棟に保管されている。
作りは小さいが如何にも頑丈うそうな建物だ。
近年、仏像の盗難騒ぎが多いと聞くが保管には大分気を使われているようだ。

ご本尊の聖観音、やや、腰を捻っている。
平安後期の作と言うが当時の流行だったのかも知れない。
頭上に螺髻を結び天冠台をつけ白毫相を表している。





良く判らないので尋ねてみた。
白毫というのはインド人がよく装しているあの眉間の真ん中に付けているのと似ているが、
本来は右回りに巻いた螺旋状の白い毛なのだそうだ。



元来、白い渦巻きとして描かれて居り仏の慈悲の光りを表わすと言われている、
現在は光る突起物を付けるのが主流になっている、との事だがよく判らん。
螺髻を結び天冠台を付けているのがこの観音の特徴との事だ。
渡岸寺の観音様にはこの白毫は無かった。
体長90cm。
光背や台座は後世に作られた物だが、
後本体と身に付けている物は当時のままなのだそうだ。
小指一本までキチンとしており幾多の戦乱を潜ってきたとは思えないお姿だ。
村人達が大事に大事にお守りして来たのだろう。

この観音様は特徴が見極め難い。
下から見上げている所為かも知れないが、
おおらかな大海の様なお顔だ。
「空を見なさい!」
「向こうを見なさい!」
「おおーい!と呼んでみなさい!」
そう、言っておられる様な気がする。






此処は、
新田義貞とその兵が豪雪にを阻まれ自害したと伝えられる地との事だ。
京都嵯峨野の滝口寺に義貞の墓があった。
小野小町などもそうだが、
昔の有名人のお墓は複数あるのが多い。
楊貴妃墓が長門地方にあるが、
中国・岳陽で三国志で名高い魯粛の墓が有ると聞いて訪ねたら、
魯粛の墓は中国各地に八つ?あると聞て、
何か損したような気がした事が有った。

義貞は同じ源氏を祖先にした足利に滅ぼされるのだが、
足利尊氏・直義兄弟、新田義貞、後醍醐天皇、楠正成、
この辺の関係は複雑で理解できない。
カリスマ性を持った忠臣、勇将では有ったが尊氏の智謀には勝てなかったのであろうか。
世渡りが下手で、
最後の最後まで後醍醐天皇に忠じ波乱の人生を送った義貞は好感が持てる。

続く

 

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