近江記5
余呉湖 神照寺

琵琶湖の最北方に琵琶湖の曾孫ほどの小さな湖がある。
これが今日の宿、余呉湖だ。
余呉湖は馬蹄を北に開いたような形の山脈に囲まれ、
その山脈の南の真ん中辺に彼の賤ヶ岳がある。



長浜から北上すると幾つかの谷の入れ口に、
何人かの賤ヶ岳7本槍の出身地の標識が立っていた。
片桐且元もその一人だ。

この辺りは賤ヶ岳の古戦場、
至る所に戦いの爪跡が残っている。
福島正則、加藤清正、平野長泰、脇坂安治,糟屋武則、
加藤嘉明、片桐且元、の7本槍の面々、兵どもの夢の跡だ。
更に、佐久間盛政、中川清秀、毛受兄弟・・・
武士達の血でこの余呉湖が真赤に染まったと言う。







今の余呉湖は静寂そのもの、
鳥の声もしない、時折、霧雨が対岸を煙らす。









いい気分だ。
余呉湖にはこんな伝説も残っている。
天女伝説だ。
「余呉の郷の湖に、たくさんの天女が白鳥の姿となって天より降り、
湖の南の岸辺で水浴びをした。
それを見た伊香刀美(いかとみ)は天女に恋心を抱き、
白い犬に羽及を一つ、盗み取らせた。
天女は異変に気づいて天に飛び去ったが、
最も若い天女一人は、羽衣がないため飛び立てない。
地上の人間となった天女は、伊香刀美の妻となり、4人の子供を産んだ。
兄の名は意美志留(おみしる)、弟の名は那志登美(なしとみ)、
姉娘は伊是理比刀iいぜりひめ)、妹娘は奈是理比賣(なぜりひめ)。
 これが伊香連(伊香郡を開拓した豪族)の先祖である。
のちに天女である母は、羽衣を見つけて身にまとい、天に昇った。
妻を失った伊本刀美は寂しくため息をつき続けたという。」



そんな柳も残っている、多分何代目かでだろう



この天女のお子達を祀る神社は湖北一帯に分布している。
天女の末の子は菅原道真公であるとの伝説も有る。
余呉湖の伝説は日本の羽衣伝説の中でも最も古いといわれているが、
そんな伝説が生まれるのにふさわしい神秘さと深い歴史に包まれている余呉湖だ。


翌朝、
今日の狙いは西浅井町方面、余呉湖の西方だ。
余呉湖を囲む馬蹄形の山脈は、
馬蹄の西側は厳しい山並みが北に伸びて連なっている。
要するに、余呉湖から西浅井町方面に行くのには、
余呉湖の北の端に出て、東から南へ賤ヶ岳の後方を廻って、
また北上する、ぐるりとほぼ一周するのだが、
ま、車だからどうとって事は無いのだが・・・



琵琶湖の北端に入り込んでる大川と言う小さな川に沿って北上する。
この辺りと睨んで神照寺へ電話を入れる。
電話に出たのは奥様らしい、心地よい対応だ。
直ぐ近くらしい。
つと前を見ると橋の上から川を覗いている人が居る。
つられて覗くと、
男が、今、投網を引き揚げた所だ。
2,30匹くらいは居ると思われる小魚が光りくねっている、鮎だ。
もう一度投げるところを見たかったが、
ゆったりゆったりとしていて、仲々、投げそうにも無い。
当方は道を急ぐ。
諦めて、教えられたとおりに神照寺を辿る。
同じ道を行ったり来たりして、仲々見付からない。
もう一度電話を入れる。
「右に曲がって直ぐまた右に曲がる・・・」
直ぐまた右に曲がる、が電柱の陰の細い細い道、
途中まで出て来られた奥様が手を振って迎えてくれる。

小さなお寺だ。
お寺と言うより普通の民家に近い。



表札と入れ口の鴨居の彫刻でお寺と知る事が出来る。



住職が直々にご説明して下さる。
小さな十一面観音だ、身の丈26cm。
平安時代後期の作とされている。



元々近くの神宮寺に安置されていたが、
明治の廃仏毀釈で廃寺となりこちらに移されたとの事だ。
その折に、お洗顔、塗装され現在のお姿になった。
本来は黒い漆塗りの観音だったらしい。
大月観音堂の案内人のように「残念!」とは云わないが、
言外にそんな雰囲気を感じる。
こちらのように坐った十一面観音は珍しいのだそうだ。



この観音様は或る時は優しく或る時は怒りを顕わに、
あたかも優しく厳しい母親の姿に通じると、
深い信仰を集めている、とのこであった。
そう云われて観ると、
その辺でどっしり構えている肝っ玉母さんの面影がある。

奥様がお茶を入れて下さる。
此処の観音もそうだが、
住職も奥様もお寺そのものもしみじみとした滋味を感じる。
「私は観音様を観るのが好きでただただ眺めているだけなのです」
と言うと、ご住職が、
「眺めるだけで漢音様は生きとし生ける者へ慈悲を施すのです」
と仰って頂いた。


帰りがけに、さっきの橋の上から川を覗くと、



奥さんが来て獲物を収めたようだ。
さっきのピチピチ跳ね返る写真が撮れなかったのが残念だ。



眼を凝らすと無数の鮎が流れに向っている。

鮎釣を趣味にしている友人がいるが、
こんな場所を教えて上げたい。

続く

 

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